夏コミで頒布した、すいすいすいさいどの解説本? みたいなものの一部分を公開します。

いつも最低最高最低
チャプタータイトルは曲名ではなく、歌詞から。躁鬱感をこんなシンプルな言葉で表現できるなんて本当にすごいです。
物語の冒頭って、作る側からすると、結末と同じくらい慎重に選ばねばならないと言われていますね。冒頭で客の心を掴むことができなければ、客はその作品を買おうとはしない。小説や漫画などは立ち読みで冒頭を読んで、その作品を買うかどうか考える人が多いはず。ゲームも近いものがあり、体験版を遊んで、その作品を買おうかどうか決める。(最近では体験版に触れず、口コミで興味を持ったものを買う……という人が増えているように思いますが、実際はどうなんでしょう?)映画の場合はもうちょっとその縛りはゆるいような気がします……映画館のチケットであれDVDであれ、買った時点で客は最後までその作品を見る権利を有しているから、一応最後まで見てもらえる確率が高い。すいすいのオープニングもどうしようか考えたんです。テストのシーンから始めれば、主人公が学校や勉強に強い閉塞感を覚えていることを示せるなとか。主人公が過去に起こした学内でのケンカを受けて、親と一緒に教師に説教されているシーンから始めるとか。けどそういうのを断念して、中間テストが終わり(中間テストという行事を知らない人もいますよね……)、ちょっと開放感のある瞬間から話をスタートさせました。なにかしら強い感情が表現されているシーン、もしくは主人公の人格の根幹(主に欠点・克服すべきポイント)が形成された原因となるシーンから始めるというのは映画の常とう手段だと思います
そもそもの話として、すいすいを作ろうとしたとき、今の自分に傑作を作るのは無理だという諦めを持っていたのです。サークルのブログにも書いたことがありますが、最初から天才な人と、少しずつ腕を上げていく人とがいると思うのですが、自分は悲しいことに前者ではないという自覚があったのでした。なのですいすいは、自分が好きな映画や小説やゲームのような完成度を目指すことはできない、けどまずは一つ作品を完成させることを最優先に考えたのです……お恥ずかしい話ですが。「インパクトのあるオープニングを」というのは脚本を書こうとする人がみんな意識すると思うのですが、物語そのもので描かれる感情が強いものでなければ、オープニングにも持ってこれないですよね。あと、冒頭以降も適度に強烈な場面を配置していないと、しりすぼみにもなってしまうし。難しいですね。ていうか考えてみると、そもそもノベルゲームで冒頭がインパクトの強いものってのも少ないような気がします。脚本の良し悪しより、キャラクターやテーマや世界観がどんなものであるか、が、ノベルゲームユーザーにとっては重要なのかもしれないですね。「どんな人物が主人公なのか」ではなく、「どんな世界観なのか」「どんな女の子が出てくるのか」のほうが重要視される傾向があるかなぁと。
今この文章は、あらためてプレイしなおしながら書いているのですが、冒頭の由紀彦と銀平のやりとりはちょっとフックが弱すぎますね……。自分としてはアホな中学生のやりとりにできればと思ったんですが、主人公のキャラが薄い。ちょっと失敗ですね! すいすいのオープニング! 「シコシコかい」ってギャグはちょっと、別にいらないですね。ギャグとして面白くない、というのは計算したうえで書いてはいるのですが、「ギンがスベるギャグを言うキャラ」という設定でもないのにこのシーンは必要ない。多分、「この作品ではそんなに面白いギャグは描かれません」というハードル下げのために削除しなかったんだろうなぁ……。まぁ、その後の「死なないかな」って言葉は使いたかった言葉なので、そこへ持って行く流れを作るという意味でも、やっぱり削除するのが惜しかったのだと思います。けど、書き手の「これ消すの惜しい」「もったいない」っていうこだわりって、作品の完成度には関係ないんですよね。「譲れない」「絶対に書きたい」は残すべきだとは思うんですけどね。次の作品では、アンチ「モッタイナイ!」でいきます。どんどんぶっ潰していく。あと、「コンビニ寄る」って話もべつに全然要らない……書いてる時は「ギンが持ってるお菓子はどこで入手してくるのか」→「学校にお菓子を持ってきているのは問題がある(荷物検査などがあるし、ギンの場合いじめられてたって過去があるから所持品は気を付けるかも)」→「じゃあ下校中に買おう」という過程を経た気はします。「お菓子をどの時点から持ってるか」なんてどうでもいいやろ……ミスを犯したな僕は(おかしだけに)。「ハンターハンターがどの辺まで進んでいるか」で、作品の舞台がいつ頃なのかを特定できるようにはしてあります。なんか、「この話は西暦何年なんです」ってことを明記するのが嫌だったと言いますか……。「ハンターハンター終わらないといいな」って台詞は、すいすいを発表した時点でもまだ終わっていないという皮肉を込めたんですけど、そんなに面白くはなかったかもしれないです……こういうメタ的なネタを入れるかどうかって悩みどころだと思います。メタを入れるなら、それが面白い仕掛けになっていないといけないとは思います。すいすいは別にメタを入れる必要がない作品だったと思います。それこそリアリティラインについてはだいぶ悩んだ作品だったはずなのに、なんでメタなんか入れたんでしょうね僕……。
公園に着いてから、公園の位置についてやたらどうでもいい説明が入ります。この公園が丘の上にあるということは、後々必要になってくる情報ではあるのですけど、そのほかの情報は全くいらないものですね……なんでこんな文章を書いたんでしょうな。自分の頭の中にある情報を全て書かないといけない、と思い込んでしまっている人間なので、作品を作る時は注意しなければいけないと思いました。ただでさえ話が動き出すのが遅いのだから、もっとテンポを速めるべきだった。あと、主人公の独白での説明ではなくて、ふつうにギンとの会話で見せることのできた情報も多い気がします。本文を書いていた時は、「ユーザーに開示しておくべき情報を、これまで当たり前に生活してきた二人がわざわざ喋るのは不自然だ」と判断した気がしますが、もっと頭をひねって工夫を凝らせば不自然ではなくかつ読む人にしっておいてほしいことも書けたと思います。力量不足でした。この公園は高いところにある、という情報を出しておきたかったのかなぁとは思いますが、それにしたって「登ってくるの疲れたな」のあとに補足の文章をちょろっと入れたら済む話ですし……。と、じっくり読み直してみて、文章が重複していたことに気付きました……。『公園に入ってすぐのところには、ブランコや砂場や滑り台など~』という文章が、二回表示されます……こういうミス、もしかしたらちょこちょこあるのでは……。
ギンの「子どもはいいよなー」から始まる、受験についての二人が話し合う部分は今でもわりと気に入っています。中学生らしいやりとりにできている。あとロリコンについてのボケも気に入っています。なんか、話の細部を作りこめた時にすごく嬉しくなるんです。これって、創作していて一番楽しいことかもしれないです。その後の、子どもを放ってお喋りしてるお母さんたちと、平日の昼間から暇を持て余してるお年寄りに対する主人公の苛立ちの文章はわりと好きです! 今の自分はそうは思わなくなっているけど、学生時代は、仕事をしていないのに生活が成り立っている人間全員ふざけんなって思っていたのです。「口に出してもどうしようもないことは、言わないことにしている」という文章で、独白多めなこの作品に対して言い訳をしているような気がします。もともと不愛想で、人と積極的にコミュニケーションを取らないタイプの主人公という設定にしていたので、物語を通じてちょっとずつ口数を増やして地の文を減らす……という構成にしたいなと思っていました。けどコントロールするのが難しく、あまり達成できませんでした。
パトロール中に、ギンがチョコレートの賞味期限を気にする部分は、一度シナリオを書き上げてから追加しました。昔、男性の同僚が言っていたことをパクりました。この同僚が言っていたことで、他にも使いたかったものとして、一緒に歩いていて信号待ちをしていた時に、「気付いた? 今、俺、一分ぐらいずっと息止めてたよ」があります。なんかその人はとても面白い人だったんですよ。このチョコレートのくだりを奇なりさんがかわいいと言ってくれたので、足して良かったと思います。なんというか、女性でも男性でも「自分には全然その発想はなかった~」ということをする人に対して、かわいいと思いますね。「糖分取らないとまずくね?」というのはその人が言ったことではなく、僕が、甘いものを食べたくなった時、自分に言い訳する際に考えることですね。
エロ本を取り出すのをもったいぶるギンに、由紀彦が『なにこいつ! 死んでほしい』と言います。「死んでほしい」は主人公の性格を表すキーワードにしようと思っていたんです。そもそもきっかけとして、自分の好きな音楽ジャーナリストの田中宗一郎さんが、「最近の若い奴は陰でコソコソ『死んでほしい』とか言う。自分をいらだたせる対象に接触しようとしない。『ぶっ殺す』というように、自分が何かしらの行動をとろうという表明をしろ」というようなことを言っていたんです。……という記憶があったのですが、出典を読み返してみたら、全然そんなこと言っていませんでした……僕が勝手に記憶を書き換えたのか、他のところでそういう発言をしていたのか、もはやわかりません……。要するに、コミュニケーションに消極的な主人公を象徴する台詞として「死んでほしい」を使おうと思ったのでした。で、当初はその逆に、ギンが怒った時は「ぶっ殺す!」と言う設定にしていました。自殺しようとしている清子と出会う前、由紀彦は人の命に触れるような言葉を実感を持たずに平気で口にしているキャラ、というふうに扱おうと思っていました。しかしシナリオをむにさんに読んでもらったところ、自分が意図していたことが全然伝わらなかったので、ギンはあんまり怒らないキャラに変更しました。由紀彦の「死んでほしい」は、消す理由もないしそのまま残しました。過去に自殺を考えたことがあるというギンに対しては、本来言ってはいけない言葉だと思うのですが、「そういうやりとりを許容し合える関係性」ってあるじゃないですか。黒人同士が「ニガー」と呼び合うような。性犯罪の被害に遭った人が、セックスを通して癒されることがままあるように、心の傷とは、傷つけられた原因と同じことをされることで修復されます。(全てがそうだとは言いませんよもちろん)今考えてみると、主人公がこういう言葉を平気で口にしていたことについて、作中で言及した方が良かったかもしれないですね。ギンにトリュフ探しを勧めるところは好きです。これも、書いてて思いついたギャグです。
ギンがエロゲー雑誌好きだったり、エロゲーをやりたがっているところ……。ギンをオタクっぽく描くために入れた設定ですが、今やってみると、これは話に必要のない設定ですよね……。こうして作り終えてから半年以上たってみると、要らないものが多すぎますね。作っている時は、一度決めたことを削除できないです。もっと俯瞰して、必要のない物は捨てるということを常に意識したいなぁと思います。『奇跡のぶっかけ百連発』という言葉はすごく気に入っているのですが、これはギャグとして読んでもらえているのでしょうか……。ぶっかけに奇跡もクソもねーだろ、と思いながら書いた文章です。リビングにしかパソコンがないのでエロゲーができない、という環境は02年っぽさを出すために入れたものですね……当時はそういう家が多かったはず。多分。けど今考えると、別にここのくだりも必要がないですね。「テストで良い点取れたら、欲しいものを買ってあげる」的なところとか中学生っぽい感じだなーと思いますが、どの程度一般的な家庭ルールなんでしょうね。うちはこういうこと言われてた気がします。僕は全然勉強しなかったけど。由紀彦が読んでいるエロ本に書かれている「女性のエロ体験談」は、清子の母と由紀彦の母の恋愛を描いています。こういうメタ的な要素って、多分、読んでいる人のうち誰も気付かないだろうなぁと思います。こういう、「誰にもわからないことを入れたくなる」理由について……前述した田中さんが、講演会のようなところで、「自分の書いた文章をほんの少し読んだだけで、自分の考えていることを全てわかってくれる人がいる。10年に一度くらい、そういう人と巡り合える。自分はそういう出会いを待つために文章を書いていると言っても過言ではない」と話していたんです。まぁ、本音を話すというよりも、ポジショントークをする人なので、本当なのかどうかはわかりませんが……。自分が文章を書く動機の一つになっているような話なのです。なので、「これは読んでもわからないだろうなぁ」というようなポイントを仕掛ける習性がついてしまっている気がします。悪い習慣だ。もちろん、有名な音楽雑誌でずっと書き続けている人と、同人ゲームでシナリオを書いている僕とでは、文章を読む人の数が五、六桁は違うと思うので、田中さんですら十年に一度というなら僕は何十年続けたらそういう人と巡り合えるのか……という話でもあるのですけど。僕自身が音楽でも小説でも映画でも、作品に触れる時、「作者は何を考えているのか」「どういう経験がこんな作品を作らせるのか」ということを考える人間なので、こういうやり方に至っているのだと思います。まぁ、「いつか出会えるかも」というのは自分自身が書くことの動機付けに使っているフシがあります。僕は自己暗示をかけて動機付けしないと、行動できない人間です。
ハナさんに彼氏がいるのかどうかを気にするセンテンス……『ハナさんもやってんのかな。やってんだろうな』は、削除しようかと思ったけど、溝野が「あった方が良いと思う」と言っていたので入れっぱなしにしました。学生時代……特に童貞だったころの自分って、人を見ると、「セックスしてんのかな」ということばかり考えていた気がします。今でも若干その気は残っています。

赤い太陽 5時のサイレン
タイトルは歌詞から取りました。本当はもっと長いのですけど、二つの言葉に絞りました。ていうかすいすい買うお金があったらアンディモリのCD買った方が良いんですよ絶対。買いましょう。五時の鐘、ではなくサイレンという言葉の選び方がよいです。なにかが終わってしまう、という雰囲気を強めている。
ちょ、ま、待てよ! のところをやまくじらさんが気に入ってくれたみたいなので嬉しかったです。やまくじらさんはなんか素直な人なので、言葉を勘ぐる必要がないというか、信用しやすいように思います。「ものまねのものまねをするな」というのは、僕が普段思うことですね……。学校の教室や、居酒屋とかで、「テレビでやってた芸人のネタ」をコピーして笑いを取っている人間が嫌いです。それをもって「こいつは面白い奴」という認識をしている周囲の人間も嫌いです。なんで僕はそんなことを思うんでしょうね……。いや、「クラスの面白い奴」が笑いの求道者でなければならないわけじゃないということはわかります。普通じゃないことを堂々とできさえすれば、だいたい笑いは取れるものなんですよね。しかし僕も子どもの頃から人を笑わせることになぜか必死だった人間なので(両親の仲が悪い子どもはそうなりがちだそうですね)、「自分で考えた言葉で笑いを取れよ」というこだわりを持っていたのかもしれません。由紀彦が僕と同じことを思ってこの台詞を言ったというよりは、むしろギンが「その時思ったことをそのまま口から出す」人間だということを書きたかったのだと思います。なんというか、自分が見ているものを、違う人の感性を通して捉えなおせるというのは活字媒体の一つの楽しみ方だと思うのです(僕はあまりそういう読み方ができないのですが……)。そういうわけで、「ものまねのものまねってどうなの?」と思わない人に対して、「そういう考え方もあるのか」と思ってもらう瞬間になるのではないかと思って由紀彦の「するなっつうの」を入れました。別に作品を作るにあたっては入れる必要全くないですね。
「道路に出る時立ってたら困るだろ」のところ、五行ほど、全く必要ないですね……。なんか、僕は、「その場にその人間がいたら何を考えるか」ということを考える方ではあるんですけど……こういう、必要のない部分をどうして削らなかったんだろう部分を見せつけられるのはキツイですね……。次回は物語を推進しない台詞は入れないように心掛けたいです。計算された緩さ……というか、必要はないけど入っていることで緩急がつく文章ってあると思うのですけど、ここに関しては完全に「リアリティ出そうとして全然要らないモノも突っ込んじゃってる」ですね。
由紀彦が、オリジナルオナニーを開発しているってネタも、全く後に活きませんでした。この辺ってすごく反省すべき点で、物語の全体の流れを構成する前に、「こういうネタはやりたい」をたくさんメモしていたんです。で、すいすいを作るにあたっては、「事前に考えたネタをいかに組み込んでいくか」という考え方で進めてしまったんです。このオナニーネタ、全然、いらないじゃないですか。なんで去年の僕はそのことに気付けなかったんだろう。次回作では、「ほとんどの会話が意味のないもの」にしたかったのですが、そんなものを作っている時間はないな、と思い直しました。ちなみに「このオナニーにはチングロリアスバスターズと名付けた」という文章もあったのですが、削除しました。02年では、イングロリアスバスターズもまだ作られていませんし……。ここで、「そんなバカなオナニーするやついねーだろ!」っていう感じのネタを思いつけたのは好きですし、「頭に血がのぼって気持ち良くなるかと思った」というのも書きながら思いつけたので嬉しかったんです。けど「嬉しい」は、作品の面白さとは関係ないですよ。
やりとりが終わったあとにくる、由紀彦が雑木林について考える部分。雑木林が由紀彦がギンにとって母親の胎内のような落ち着きを覚える場所だということを表現したかったです。が、あんまりうまくいっていないように思います。「暖かい」というような言葉を入れれば良かったです。もしくは、気持ち良くなって寝てしまうとか。トトロのメイちゃんを思い出してもらうとわかりやすいと思います……。物語作品内での「子宮」の暗喩についてはジブリアニメが全作品で描いているので、参考にしています。そういうわけで、この林の「子宮」性についてはもうちょっと字数を割いて描写しても良かったと思います……。続く、清子を発見する由紀彦とギンのくだり……ちょっと上手くいっていないですね。まず「50メートルほど先」「上から黒、紺、白の色がついている」というところとか、具体的過ぎると思います。主人公が視認したものをそのまま言葉にした……という形で文にしてはいますが、この文章だけ読んだ人は本当になんのことだかわからないと思います。けど、どのように描写するのが正解なのか、わからないなぁ……。「なんかある。行ってみるか」だけでよかったのでしょうか。主人公が「そこに近づこうとする」動機付けを文章でしようとして、視認した変なものを半端に描写してしまったのが敗因なような気がします。その後の、「非日常を期待する」主人公の心情は、ふつうに書けているなと思います。非日常についてはっきりと言葉にし過ぎているようにも思う……その辺のあんばいは難しかったんだろうなと思います。
「やっぱり女はみんなへんたいなんだ!」の文章は、ちょっとかわいこぶろうとしているな……と思います。削除しようと思ったのですが、奇なりさんが「消しちゃうのもったいない」と言っていたので残しました。主人公が、死んだ父親を愛していて、自分たちを一度は捨てた母親に対して複雑な感情を持っているという設定なので、「女は全員変態」という女性嫌悪的な偏見を持っているところを表現したかったのだと思います。親の不貞(というかパートナー以外との恋愛)は子どもの心に大きな傷を残すと思います。傷っつっていいのかわかんないなぁ……親も一人の人間なので、心変わりなんて起きて当たり前だとは思うんですけどね。子どもって、「自分の欲求よりも自分たちを守ることを優先してくれている」という感覚を持つものなのでしょうか。今の社会では、子どもは「お父さんとお母さんは仲が良い」と信じているのがふつうだとは思いますが、それは「それが多数派」だから、それを信じられない環境にいる子どもが苦悩しないといけないんですかね……。むしろパートナーが流動的なのが当たり前だとしたら、子どもも「今日からこの人が新しいママかー、これで僕のママは四人目だなぁ」と自然に受け入れて、違和感なく育っていけるんですかね。心理学とか社会学の勉強をすれば答えが得られそうな問題ですね。もっと勉強します。しますしますいうだけじゃなくて本当にします。
「ぶらさがり健康法」のくだりは、場面とのマッチング、ギャグ自体のクオリティ共に好きなので好きです。ススッと書けた記憶もあります。ススッと書けると気持ちが良いです。ここのところで一枚絵が出ますが、絵をスライドさせてフェードインさせたいというのはやまくじらさんの案でした。一枚絵をどこで使うかということは非常に悩ましい点でした。そもそも「素材数が少なく作れるもの」として企画したので、当然一枚絵の枚数も限られてきます。ゲームの価格の相場として、「100円につき1枚」くらいかなぁと思っているのですが、ウチは1000円以下のゲームは作らない方針で考えているので、10枚くらいあればいいかと思っていました。詳しい説明は省きますが、1000円以下のゲームを作らない理由は、一度値段を下げてしまうと、最安値が基準になってしまう可能性があるからです。一枚絵を使う場面は、シナリオ上で強く印象付けたいシーンか、立ち絵で表現できないシーンか、ということになります。このシーンでは両方ですね。やはりキャラクターの登場シーンとかは一枚絵を使いたいですよね。キャラクターの登場シーンは、印象深い場面にしたいです。あと、一枚絵が出ているのに無音というのは少し寂しく感じてしまいますね……。だからといって「BGM入れて盛り上げる」が正解だとは思いませんが、なにかしらの音を入れても良かったなと思いました。
自殺を「とりあえず止めないと!」と走り出すギンと、ごにゃごにゃと理屈をこねた後でないと行動できない由紀彦の対比はわりとうまくできた感じがあります。走り出したギンがすぐに息切れしてしまうというのは、ストーリーの最後のほうと被るような流れにしたのですが……別にこれと言って意味をなさなかったように思います。けど流れが自然ではあるので、ここについては、まぁこんなものかなという感覚。主人公が清子に初めて言う「お前死ぬの?」という台詞……。自殺しようとしている人に対して、かける言葉を何も持たない少年(そして物語を通して、その言葉や気持ちを得ていく)ってことを表現したくて言わせたのですが、なんかもっと印象づく台詞があるといいですよね。人って、危機的な状況で、芝居がかった台詞を考えられるほどの余裕なんて持てないと思うんです。高校生の頃、兄としょっちゅうケンカをしていたのですが、向こうはすぐに暴力に打って出るタイプの人間だったのです。説明は省きますが、こっちは学校生活があるので顔にあざなどを作ってはいけないわけですよ。しかし向こうは平気で顔を狙って殴ってくる。そこにものすごく腹が立ったのですが、そこで出てきた言葉が「お前は人間じゃねぇ!」だったんですよ。高校生の頃とか、難しい言葉遣いとか思考が大好きだったころなのに、そんなシンプルな言葉が出てきたことに自分でも驚いたんです。そういった経験があるので、「差し迫った状況ではシンプルな言葉しか出ない」といった考え方で台詞選びをしてしまった気がします。けどこういうのって、自分の経験に基づいた作劇法ということにはなるのですが、作品の幅を狭めることにもなると思います。俺はこういう経験したからこういうルールで作るよ、というポリシーは持つ必要があまりない。考える時はもっと自由にやるべきだと思いました。反省をします。その後の、「言うことがないぞ」の逡巡は、ふつうの出来かなと思います……。ギンに押し倒された清子が無傷なのは、自分でもどうかなと思います。どうなんでしょうねこういうの。自殺がテーマということもあって、痛みや身体性は現実味を持たせられるようなラインを保ったつもりなのですが、こういう現実的な法則を無視したシーンがあるとバランスが崩れてしまうようにも思います。まぁ、これくらいならアリかな……?
ギンが清子を説得する部分……ちょっと長いけど、最初に「論理的に自殺を止めるのって難しい」ってことを見せたかったように思うので、直しかたをあんまり思いつかないなぁ……けど、ここの時点で、由紀彦のキレさせておいてもよかったようにも思うかもしれない。ギンがすぐに「俺たち」というところは、ギンが単純な考え方(というか考えることをせずに感じたまま生きてる)ということを表現できてるかな、と思いました。「この女程に追い詰められた経験もおそらくない」というところは、短い言葉でうまくまとめられたような気がするので、好きです。「せっかくテストが終わったばかりなのに~」のところはすごくキザな言い回しになっていますね……けど状況のまとめとしてはわかりやすくて好きです。この辺、文章が長いですねー……書いてた自分としては、「ギンが清子と遊ぶことを提案する」ことに、主人公が異論を挟めないような、事実関係の確認をしておきたかったのだと思うのですが……もっと、論理は飛ばしても大丈夫だったかなと思います。まぁ、そういう反省点も含めて増えていく経験だと思って精進するしかないですよね。ギンが委縮していったあとに、「じゃあさ!」と切り出して、清子を説得していく部分……音楽の切り替えをして雰囲気を変えるべきだったなーと思います。清子がギンの申し出に応じるのは、「自分を必要としてくれる人」なんじゃないかと思ったからむげにできないという動機を設定しているつもりです。ただこれはあんまりうまくいってない気がするなー。最終的な物語の結論が「自殺しそうな人に有効な引き留めは「あなたがいなくなると悲しい」という感情的・非論理的な振舞いだ」ということなので、非論理的なのはいいのですけど、もうちょっとドラマチックに、なにか、派手な……というか印象の強い行動や台詞やアクロバティックな論理で見せたほうが良かったようには思います。課題ですねー。清子に名乗るシーン、由紀彦に一回嘘をつかせるのは、やはり、「名前をめぐる物語」をやろうとしたからですね。そして全然できていない。やっぱり安藤って響きがよくないですよね。あと、「苗字が変わったことがある」を、ちらつかせようとして、ほぼモロ出しになってしまっているのも悲しいところ。清子の制服を見てからのやりとりもいらないよなぁ。けど「今何年生? 学校はどこ?」と直接聞き出すという一番下手なやり方よりはマシな気もする。中学生のリアルなやりとりとしては悪くない出来なのですが、「リアルなやりとり」に価値があるとはあんまり思えないですね、今は。すいすいをやってくれた人からの感想として「中学生をリアルに描けている」というものがあるので、ありがたくは思うのですが……。リアルであって、かつ価値が高い(僕の基準で漠然としてしまっていますが)文章もありあえると思うので、褒めてもらえるところは残しながら、もっと、良い文章を書けるように頑張りたいです。けどお褒めの言葉って実は漠然としていて、「具体的にはどのやりとりがよかったのか」というところまで聴き出せることってないんですよね。感想をくれた人の指すところと、自分が思い起こすところが違っている可能性も十分ある。難しいですね! 頑張ります!
ギンの女好きなところにムカつく由紀彦……というのは、ホモソーシャル感というか、童貞の男子たちが抱く感情としてはリアルだと思います。細かく説明することは避けますが、由紀彦の気持ちとしてはひがみ半分な所があると思います。いや、けど、由紀彦は清子に恋愛感情を全く抱かないというのは当初から決めていたことなので、これはやっぱりホモソーシャル感ですね。依存しあう男子たち。百合モノのごとく潔癖。ところで清子が教科書やノートを踏み台にして首を吊ろうとする……というのは、勉強ばかり押しつけてきた母親への無意識の反抗という意味合いを持たせたかったです。その含みが、もう少しちゃんと伝わるような書き方をすればよかったなと思います。「押しつけられたものを使って自殺する」というモチーフ自体は好きなので、なにか別の形でまた挑戦してみたいです。本ってけっこう重たいのに、清子はよく紙袋二つ分も持ってこれたな……と思います。自分で疑問に思っているようなことなら、ちゃんと解消できるようにすれば良かったですよね。清子の負う重荷を二人が持ってあげる、というのも暗喩としてはまぁまぁ悪くはないかな……と思います。すいすいの前に企画していた高校生モノのシナリオで全く同じようなことを書いていたんです。そっちの企画のヒロインもほぼ清子みたいな子でした。設定のところでも書きましたが、僕は、こういう、無欲そうな……セックスに興味なさそうな女の子を書きたい欲求が強いのだと思います。女性をまともに描けないことに対する口実が作れるからかな? けど最近思うのですが、「女性を描けている」男性作家って逆に誰なんですかね。また別方向から見て、「男性を描けている」女性作家って誰なんですかね? 女性作家が「男性を描けていない」という批判をされるところをあまり見かけないのですが……。まぁいいか。
清子を送り届けた後の、由紀彦とギンのやりとりは、ポジティヴとネガティヴを対比して書けたので、まぁいいかなと……。もう一つひねりとかがあった方が良かったですかね? 「わけわかんない奴と一緒にいるのが嫌だ」という由紀彦と、「これから知っていけばいい」というギン。この辺は、人間関係についての考え(というか寛容さ)を出せたので、わりといいかなと思いました。ギンに自殺しようと思ったことがあるかを尋ねるところは、ちょっと唐突な感じがしますね……。それこそ由紀彦は、想ったこともあまり口に出さないタイプではあるんで、なおさら。ギンがなにか口を滑らせたところに、由紀彦が追及のツッコミを入れるといった流れのほうが良かったかもしれないです……。書いている時も「唐突だなぁ」と思っていたのだから、ちゃんと直すべきであったと思います。「……心当たりもないわけじゃないし」ってひどいな! 僕は伏線の出し方というか、バックストーリーがありますよってアピールの仕方が絶望的に下手な気がします。清子にメロメロになっているギンを、由紀彦がちくちく責める部分は、由紀彦っぽい男の童貞くささを出したかったです。ですが男の行動の動機に、女性に対する行為や、モテたいという気持ちが入っててもいいじゃん……という想いがあります。エロ本を森の中に忘れてしまうギン、というのは、「エロよりも夢中になれることができた」という……要するに新しい玩具に夢中になる子どもの様な状態だということを表現したかった気がします。こうしてプレイしなおしてみると、『キューピッド』の楽曲のフィーリングと、シーン全体は合っていない気がしました。日本人にも聞き取れる発音でキューピッドキューピッド連呼しているし、恋愛に関する甘いフィーリングとマッチしているのは、シーンのうち一部にしかなっていない気がします。一つのシーンに、いろいろな感情を入れ過ぎなんですよね。整理されていない、計算された混沌さでもない。シーンをもっと切り替えながら話を進めていくべきなのですが、清子と別れてからでないとできない話を二人がしてくれないと、話が進まない。ストーリー自体に、表現したい事柄や感情が詰められすぎている気がします。これでは、読んでいる人が、何を受け取ったらいいのかわからないと思います。現実ってそういうもんでしょと思う気持ちもどこかにあるのですが、それでも、現実がそうであったとしても、一つの物語として編集するのが文章を書く人間の務めでもあると思います。反省ですねー。一つのシーンに詰めすぎるなっていう。
部屋に帰ってきてからはじまる主人公の独白……自分でも気付いていることなのですが、僕は布団の中で考え事をする主人公を描きすぎだと思います。自分が、「布団に入って音楽聴きながら考え事」していた時間が人生の中で多くあったので、「考え事させるなら布団の中っしょ」という図式が頭の中に出来上がってしまっているんですよね……。他の作品でもこのシーンは多用してしまうと思います。けど、布団の中以外のどこで主人公の考えをモノローグで見せることができるのでしょうか。便所とか、カフェとか、散歩させるとか……ってことになるんですかね。そもそも主人公の頭の中を一気に見せる必要なんてないのかもしれないです。けど、シンプソンズのDVDを、コメンタリー字幕をオンにしながら鑑賞していたのですが、「夫婦の寝室で話し合うシーンを僕らは頻繁に使っている」と話していました。そういうものじゃん、と思って自分に有利な言葉リストに入れさせてもらいました。
「俺も大人になったら、早く風俗に行こう」という文は、ザ・中学生だな! と思って気に入っているのですが、今のところ誰にも褒めてもらえません。オナニーをするタイミングに悩むという描写は、中学生の性欲処理のつらさをコミカルに書けていて、良い出来だと思います。ここで告白させてもらうと、僕は、オナティッシュをトイレに流すという発想を持っていませんでした。このことを考えるだけで本当に死にたくなります……嗚呼。「今以上家に居づらくなる」のところは、さりげなく、家庭に居場所がないってことをにおわせることができたかなと思うので、悪くはないと思います。そもそも主人公が、性欲を抱いていることやオナニーしていることへの罪悪感を抱いているのは、母親がそういった部分にも干渉してきているからだと思うのですよね。自分の子どもが性に目覚めることを嫌がる傾向って、男親よりも女親の方が強いと思います。僕はすいすいを通して、親が子どもを自分のモノのように思い込み、束縛しようとすることは間違っているという告発がしたかったです。自分が果たせなかった夢や願望を果たさせようとしたり、自分そっくりな人間に育てようとしたり、という親が好きじゃないんですよね。『男の生殖本能をそそるために~』の発想は、ミソジニーの芽生えだなぁと思います。こういう文章って、女性がすごく嫌がるだろうな、って思うんですけど、書いちゃいます。ギンは自分にいろいろと言い訳をしながら食欲に屈服しますが、由紀彦は自分に言い訳をして性欲に白旗を振ります。そして白液を出します。分解と省察なのでウマいことを書く必要はないのですが、面白いことを思いついたらアウトプットせずにはいられないのです。。。なにか行動する時に、自分に対する口実作りをしてしまうという点で二人は共通していますが、それは完全に僕が普段の生活でしていることので、今後は全く違うキャラを作りたいですね。オナニーの時に使うティッシュの枚数に言及した点については、近くに住んでいるサークルのシナリオライターさんに「リアルですよね」と言ってもらえました。僕もリアルだとおもいます。このへんのことって、自分が実際に由紀彦の年齢だった頃にしたこと、考えたこと、人から聞いたことを思い出しながら書きました。中一から高三までの六年間で、男がオナニーする回数って、最低でも百回を超えると思うんです。いやマジで。全ての男が百回以上経験してきたことなわけだから、オナニー描写についてはどれだけ細かく書いても、細かすぎるということはないと思うのです。二十代に入るとオナニー回数は減ってくるし、下手するともうオナニーしないという人もいるかもしれません。しかし過去にはしていたはず。その記憶を引き出すアンカーを多く埋め込むことができたかと思います。この点は褒めてもいいなと思います。妹がオナニー中に入ってくるというイベント、別に、必要ないですね。なんだこれ。妹キャラを出したいというのは考えていたのですけど……「家族にオナニーがばれる恐怖」っていうのも描きたかったような気はするのですけど、結局物語の後半で親にエロ本をばらまかれるというシーンを作ってしまったので、別にこの時点で描写しないといけないことじゃなかったよな……。いや、けど、前向きに考えると、ここで未遂に終わっているからこそ安堵できたものの、後半で、主人公が恐れていたことが起こってしまった時にちょっと衝撃が強まるのではないでしょうか。シーン自体コミカルに描けたとは思うので、決して無駄ではないと思うのですが、やっぱりこうして読み返すと咲子そのものが無駄だよなって思います。咲子がマイナスドライバーで鍵を開けるっていうの、どんなやり方でやったかっていうの、文章を読んだだけで伝わりますかね……? 家の中の部屋の鍵って、すごく簡単な作りじゃなかったですか? 内側から鍵を回すと鍵がかかる。外側から見ると、ノブに-型のくぼみが付いていて、そこにドライバーや十円玉などを入れて強制的に開錠することができるという……。こういう鍵の作りが全国共通……というか年代が変わっても共通しているのか確認をしなかったのですが、結局そのまま本文を書きあげてしまいました。こういう、自分が一般的だと思っていた知識や経験が、ごくごくローカルなものでしかないかもしれない場合は、ちゃんと調査・確認するべきですよね。このネタの場合、「妹がドライバーで鍵を開ける」という動きと、話の進展(「オナニーしてる」→「妹が無理やり入ってくる」)が、切り離すのが難しいので、めんどくさい感も増したのだと思われます。現実的に、鍵のかかった兄弟の部屋に侵入してくる方法が他に思い付ければそっちに変更すればいいのですが、思いつきませんでした。鍵をかけた主人公の部屋に無理やり入ってくるという行動をとるのであれば、もっと、妹が、主人公に干渉してくるキャラクターとして描かれていた方が良かったかなと思いました。反省ですね。けど考えてみると、最後のハナさんのドロップキックと、この咲子の行動は、アホな兄弟を矯正してやるという意味では共通しているかもしれないです。ここも、もっと意識的に描いていれば有効活用できたかもしれません。反省。。。咲子が「あほ!」と言いますが、自分の中で、「あほ!」という言葉はわりと特別なのです。というのも初めて付き合った女の子が、怒ると「あほ!」と言う子だったのですが、それがなんかめちゃくちゃかわいかったのです。そういうわけで、かわいい怒り方をしている女の子には「あほ!」と言わせています。怒っているんだけど、憎めなさも出るかなと思っています。「一緒に寝てあげようか?」は、なんかいいなと思います。なんか……僕はロリコン? 妹に言い間違えを教え込むというのは、主人公が妹を妬んでいることのささやかな表明という意図を込めたつもりです。ただ、その後、それが活きてくるような場面などを設けていないので、完全に失敗だと思います。シナリオの最後のほうで、「楽しそうにしている妹が妬ましい」というような吐露がありますが、その感情と個々のシーンを結び付けて考える人はほとんどいないと思います。昔付き合った(すぐに別れたんですけど)若い女の子の家庭環境が複雑だったんです。母親が(今書いてて気づいたけど由紀彦と家庭環境めっちゃ似てるやん)その子を産んで、その子が物心つく前に父親とは別れて、他の男性と再婚。母は新しい父親との子どもを二人産んだ。どちらも女の子。その子が僕に、笑い話でも話すかのように「妹にはいつも、『あんた不細工だねー』って言う」と言っていたんです。怖くないですか……? もちろん、どういう言いかたをしているかとか、その場の空気(空気って言葉は抽象的なので好きじゃないのですが)にもよるとは思うのですが、それは笑いながら僕に言うことじゃないと思うんです。僕は自分自身の容姿は、好き嫌いとかではなく、不細工な方だと思うんですよ(好きでも嫌いでもないという注釈が付くのは、不細工だけど別に社会生活で困ることは少ないし、セックスさせてくれる女性がいないわけではないと知っているから)。そういうこともあってか、たとえイジりだとしても、容姿を悪く言うのって止めた方が良いと思うんですよ。ただその子は笑いながら言うくらいなので、自分が、妹の心を傷つけているのだという実感は多分持っていない。いや、僕に叱ってほしかったのかな……。まぁ、そういったわけで、「これは兄妹で遊んでいる」という言い訳が出来る範囲で、いたずらをして妹を困らせているのだという表現をしたかったのでした。……と、ここまで書いていて思い出してきたのですが、わざと間違ったことを教えるというのは僕が女の子と付き合うとよくすることでした。そう考えると、由紀彦は咲子に甘えているという捉え方が成り立ちますね。奇なりさんがすいすいについて、「ギンと清子ちゃんは居場所がない感じがするけど、由紀彦は妹との絆があったりして、居場所があるように思う」と言っていたのですが、鋭い指摘だったんですね。やっぱりいろいろ考えても、もっと、「妹をどう描くか」は突き詰めるべきでした。「もころし?」って言って首をかしげる仕草は、ちょっとかわいいんじゃないかって思えました。首をかしげる女の子ってかわいいと思います。顔がかわいい女の子は何してもかわいいじゃんっていう、そういう節もありますね。すいすいをブログで公開した後で、友次郎さんが「妹ちゃんかわいい」と言ってくれたので嬉しかった記憶があります。そう、もしかすると、その意見があったから、「咲子はかわいくしなければ……」と思って、二日目以降の咲子の扱いが迷走したのかもしれません……。