こんばんは。
夏コミが一週間後に迫ってきましたね。
私たちシンコシンクも、三日目にサークル参加いたします。
西地区のb50aがブースなので、ぜひ遊びに来てください!
ゲームの新作は特にないのですが、すいすいすいさいど! を自分で解説する冊子を頒布します……。
「セル・アワー・ソール すいすいすいさいどの分解と省察」
という、題の通りの冊子になります。
自分ですいすいを振り返るために書いていて、友だちに読んでもらおうと思っていたものなのです。
しかしせっかくブースを用意してもらったのに、新しいものが何もないのも申し訳がない……
ということで、今回頒布してみようかと思った次第です。
内容は、すいすいを企画するにあたって考えていたこと、本文を書くにあたって考えていたことを、
覚えている限り、思いつく限り全部書くというものです。
そういうわけで、文章だらけの冊子になります。
クソ長いです。
企画にまつわる部分の解説だけでも23000字くらいになっているので、そういう感じです……。
文書のデータをそのまま印刷してホチキスで留めるだけの冊子になります。
実は今もまだ書いているので、価格が決定しておりません……。
印刷には1ページあたり10円かかるので、
ページ数に応じた値段になると思います……近日中に発表できればと思います。
ただ、需要が少ないものなので、3~5部しか持って行かない予定です。
欲しいという方はツイッターかメールアドレスから予約を承りますので、
気軽に声をかけてください。

また、当日ブースでは親交のあるF.T.Wさんの作品の委託販売も行わせていただいています。
新作が出るそうですよ!
そういうわけで、せっかく共同スペースになるならなんかコラボしようやって話になりました!
なんとF.T.Wの代表で、いろんなことをやっている千葉さんが、すいすいのショートコミックを描いてくださるそうです。
ありがたや……わたくし、千葉さんには亀頭が下がりっぱなしです。
先っちょを向けて寝ることができませんね。
そして僕も、F.T.Wさんの代表作『死埋葬』のレビューを書かせていただきました。
相変わらず文字ばっかり!
これらはフリーペーパーとして配布させていただこうと思っております~(たぶん)
部数はそんなに多くないので、ぜひ、遊びに来てくださいね! チンコまる出し!

さて、告知だけのブログというのもなんだかもの寂しい……。
というわけで、当サークルの現時点での最新作である『すいすいすいさいど!』をセルフレビューしてみました。
ふつうにネタバレに触れまくっているのですが、ネタバレ平気ですいすいがどんな作品なのか興味がある……
的な人に、検討材料としてよいのではないか? と思います。
ウチのサークルのもう一人のライターの溝野利一、
すいすいの制作をめちゃくちゃ手伝ってくれた奇なりさん、
そして僕が書いています。
僕のはめちゃくちゃ長いので、一番下に置いています。
これらを夏コミで頒布する冊子に収録しようかとも思ったのですが、
溝野の作ったLIKE LIE CRYもブログ上でセルフレビューしたし、
ここに載せるのがフェアだろうと判断しました。
説明しておきますと、ライクライクライは溝野が単独でシナリオを手掛け、
すいすいは僕が単独で書きました。
ストーリー構成にはほとんどお互いノータッチです。

それではまず、奇なりさんのレビューから。
彼女は個人サークルをやっていて、ホームページには短編のフリーゲームも置いてあります。
僕は彼女のゲームがとても好きなのです……女性らしい文章がとても素敵。
ぜひのぞきにいってみてください~!

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すいすいプレイ中に抜き出したうちのいくつかをもとに、少しだけレビューのような感想のようなものを書かせていただきました。よろしくお願いします。

≪口に出してもどうしようもないことは、あまり言わないようにしている≫

 思えば由紀彦らしいモノローグだなと、2周目にメモを取りました。清子に対して「自殺する気力があるんなら、降りかかってくるものを払いのけりゃいいんだよ」って思うだけの由紀彦。酒飲んで言葉で傷つけ合ってた方がまだマシに見えて、悲しくなってくる。
 口にする繋がりでもうひとつ。釣りの楽しさを清子に伝えるため、由紀彦がおじいさんの言葉を使うシーン。俺が言っているのはただの受け売りで、ちゃんと理解できているんだろうか、と由紀彦は考える。言葉というものが急に薄っぺらく感じた。
 言葉なんかじゃ一生、他人と響きあえないんじゃないかとさえ思う。体験を共有するのが手っ取りばやい。たとえば、ギンの死に立ち会うとか、ギンを死ぬ思いで助けるとか。清子が毎日のように重い教科書を持ち歩いて、力持ちだったおかげでギンを支えられたのかと思うと複雑でもある。

≪ドダヨ……?≫

 バトミントンじゃなくてバドミントンなんだよね。咲子へのいじわるがそのまま跳ね返ってきた、かなりかわいい一文。もうちょっと前の「へ、へんたいだ!」も好き。あとは、ギンが序盤にチョコレートを食べないでおいてやるときの台詞「なんかかわいいじゃん」。
 そういえば由紀彦って「なんかかわいい」とかいう感覚頼りなことをあまり言わない。レッサーパンダをかわいいって思う理由だってちゃんと考える。何かと理由づけをする人格の延長で、死なない理由を探す7日間なのか。だからかな、清子はまぁ楽しそうにしないけど、由紀彦もたいがい楽しそうじゃない。プレイ中、楽しいかって確認してくるギンにほっとしていた。
 レッサーパンダとかネズミとかはかわいいと思うくせに清子のことはちっとも可愛いと思わない由紀彦すごいな。

≪どうしたいと思うかなんて関係ない。≫

 サードプラネット~より。パッチのリリースにあわせて最後に書かれたもので、私はこのエンディングがかなり好きでした。「どうしたいのか」と清子に問い、自殺を踏みとどまらせることまでした由紀彦が「どうしたいと思うかなんて関係ない」と言い切っているところ。由紀彦は自分を壊すけど、このエンディングはすいすい自体を壊しにかかってるそうです。
 冒頭で由紀彦は、清子の首つり未遂を遠目から見て「くだらない日常をかえてくれるモノであってほしい」と願っています。でもそれは叶わない。清子には信念じみたものがあって、由紀彦たちの言葉も行動もほどんど響かない。日が進むにつれて、じわじわどうにもならなさそうなのがわかってくる。由紀彦自身でさえ気づいてなかった、彼の暗い根っこがあらわになっていく。自殺しようと思ったことが「ちょっとしか」ないギンを意外に思っていたはずの由紀彦が、一週間後にこんな結末を迎えるなんて……。
 「俺が俺だと自覚するために必要なもの……金さえあれば手に入るもんばっかりだ」、これもギクっとするよなぁと思いながら読んでました。由紀彦がちょいちょいお金にこだわる理由を知った後だとなおさら。けっきょく母親を壊せないのは、母親というものが由紀彦を由紀彦たらしめる要素ではなかったから? 母たち家族の外側で、ひとりで死んでく由紀彦にただ胸を打たれました。

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次は、溝野利一によるレビューです。

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・すいすいすいさいどのレビューをするにあたって、彼が企画をした当初のことをなんとなく思い出しながら書いてゆきます。
自分は記憶力がとてつもなく悪いので、間違っている事がありましたらご容赦ください。

といっても印象に残っているのはタイトルの案と、エンディング案の二つ。
その内のタイトル案で上がったいくつかの候補は、各チャプターのタイトルになっていたり、登場人物の台詞になっていたりしています。あと、彼が影響を受けたものがふんだんに盛り込まれてもいるようです。
自分はいくつか分かりました(彼自身が話してくれたモノもあります)が、それらがあまり違和感なく、物語に乗っかっているのを見て、構成力があるなぁと感心しました。
例えば、分岐エンディングの一つであるCITY LIGHTS
一人で生きていくには人生は長すぎるし、世界は広すぎる。という台詞を銀平君が言っています。
この台詞がとてもこのエンディングに合っていると思いますし、台詞として組み込まれているシーン
に違和感を感じさせないのは技術かと思います。
このエンディングでのハナさんの登場は、ある程度早い段階で決まっていたような覚えがあります。
ごめんなさい、話がすすまなそうなのでまず、テーマとキャラクターについて書いていきます。

・テーマとしては自殺という難しいものを扱っていますが、トーンとしてはメリハリのあるものになっていたと感じられました。
銀平君という、ある種の緩衝材というかコメディ色の強いキャラクターとの掛け合いがあり、一方で主人公である由紀彦が自室や家族の食卓で一人思いつめてしまう独白がある。それらがしっかりと分けられていて、個人的にはテンポ良く読む事が出来ました。
ただ、きっちりと分けられすぎていて、由紀彦の心情の変化についていけない部分もいくつかありました。
物語の構成上、やむを得ないのかもしれませんが、由紀彦が銀平と学校や公園、清子ちゃんを含めてどこかで楽しい事をする時の心情では、比較的落ち着いているような大人びた心情描写が目立っていました。銀平君の爛漫さをいなし、彼の悪癖を呆れるような一面も見られます。
一方で、由紀彦が一人でいる時。彼はネガティブというか閉鎖的な思考に陥るような感じがします。銀平君とさっきまで楽しく談笑をしていたのに、次のシーンでは気が滅入っている。自身の家庭環境に嫌気が差してしまっているような。何だか心境の変化が急すぎな気がしました。
時間の経過などの詳しい描写はありませんでしたが、特に序盤のみんなと一緒にいるシーン→一人での独白のシーンの切り替えがやや突飛な印象を受けました。
彼は家に帰ると気が滅入る、そういう環境におかれているからかも知れませんが。
欲を言えば、楽しかったシーンの余韻なんかがあったら良かったと思います。それと、家に居たくないという由紀彦の心情を同居させて、だんだんとネガティブな方向に舵を切っていったらもっとリアリティのある文章になったような気がします。
自分は自殺を本気で考えた事はありません。家庭環境も悪くは無かったと思います。なので、彼のような心境に陥るのは想像でしか出来ませんが、物語としての整合性は保ってあったと思います。
話の強引さもあまり見られず、展開も終盤意外は穏やかに進んでいくためじっくりと読み進められました。
レビューを書くに当たって改めて読み直したのですが、死にたくなるきっかけなんていうのは大きな悲しい事だけじゃなく、小さい事の積み重ねでもありうるなと。(似たような事を清子ちゃんも言っていたような気がします)
この『小さい事の積み重ね』、というのがこの作品の肝なんじゃないかと感じました。
後にも書きますが、まずキャラクター同士の掛け合いにも小さな積み重ねがあったと思います。由紀彦と銀平の日常のやり取りにも、彼らがどういう関係なのか、何に悩み、苦しんでいるのかとかそういう部分が小さいながら組み込まれていました。
開幕の由紀彦とギンの会話の件、『ハンターハンターがいつまでも続けば……』や、『子どもはいいよなぁ、だってあいつら受験とかテストとかかんけいないじゃん』
この一節を切り取っても、彼らの願望が良く現れている。
また、清子ちゃんが虐められている可能性があるって件で、ふつうってなに? っていう問いかけはとても印象深かったです。
4日目までの三人のやり取りの積み重ねも相まって、少ない言葉で表現されていて良いと思った。
由紀彦の家の食卓での居心地の悪さ等も、積み重ねなのだろうと思います。炭谷は積み重ね、という事をしっかりと見せる。上手い。そうすることによって由紀彦が家族に対して何かしらの不満を抱いているのではないか? という疑問にもつながる。
どのシーンも印象深いものでしたが、読み返してみるとどのシーンにつながる部分でも描写の積み重ねや、心情の積み重ねがしっかりとしてある。
こうして見せる事で、由紀彦が自分自身の問題と向き合うことが自然になっていくのは上手いと感じました。
ただ、由紀彦の問題解決=清子ちゃんの自殺を止めるという感じではないような気もしてしまった。由紀彦の問題点というのはつまり、自分が必要とされるか否か、日常への不満=家庭環境への不満なのだと思う。このあたり、自信がないのですが……。
銀平君のほうの行動理念は愚直な感じがしたのでその場限りの取り繕いや、思いつき、不純な動機であってもまあ理解は出来るように感じます。
しかし清子ちゃんの自殺を止めることは、由紀彦の問題とは彼自身は思っていない(最初は面倒くさがっているし、本人も銀平に巻き込まれたような事を思っている)ことから、そこまで躍起になれるものだろうか? と少し腑に落ちない気もする。
彼が問題だと思っている家庭問題が、清子ちゃんに似ていてそれに共感するという部分はすんなりと入ってきましたが、だからといって何で清子ちゃんを救わなきゃならんのだろうとも思ってしまいました。
一方で、中盤以降(オレンジトレイン以降)
由紀彦が清子ちゃんに歩み寄っているシーンもありますし、物語性としては最終的には清子ちゃんを救うこと(清子が母親から必要とされないことは無いことを証明する)=自分も救われても良いはずだ(自分も母親や家族から必要とされていないことは無いことの証明)、と由紀彦が自身に言い聞かせているような印象を受けました。
こうなってくればすんなりと彼の行動理念を理解できてスムーズに心情が入ってきました。
いろいろと言わせてもらいましたけど、これも、一つのきっかけなのだと思う。作中の言葉を借りれば、『下らない日常を変えてくれるもの』が清子ちゃんの自殺未遂であり、それが彼の内にあった問題や彼の境遇に刺さることだったのだろうと思います。
その上で、彼が変化していった。そういう物語なのだろうと。
実際、ノベルゲームをプレイし終えて、そのゲームのテーマについて100%の理解は出来ないし、その作品の主人公の事をすべて理解は出来ないのだろうけれど、その作品がきっかけになって何かが変化するという事は往々にあると思いますし。
自殺、難しいテーマだったと思います。それでも自分は、すいすいはある種の炭谷らしさを感じられたので良かったです。

・キャラクターについてですが彼と友人の銀平君、両者はタイプの違うキャラクターではありますが、ギンは欲望的に奔放な、対して由紀彦は抑圧的で自身を律しているように感じます。由紀彦視点で話が進んで行くのもあり、彼の内面と言葉のズレが生じているようで、そういったところにも面白さを感じます。
また、由紀彦が銀平君に対して、胸中をすべて語らない所も彼らの関係性をうかがい知れるところだと思います。
由紀彦が自室で、オナニーティッシュを捨てる妙案を思いついたときに『俺はもしかして天才なんじゃないだろうか?』という台詞。こういう中学生的思考や、言葉を使っているあたりも、ちゃんとキャラクターが生きている感じがします。
天才なんじゃなかろうか? と思う感覚は今でも自分は感じる時がありますね。
事実、いろんな物事に対して思っています。
由紀彦は中学生。自分は28歳。いろいろと考えさせられますね。

ヒロインの清子ちゃん、彼女が自殺を図ろうとするのを止めるところから物語が展開して行くのですが、主人公と彼女の掛け合いを見ているとどうにもとっつき難さを感じます。で、考えてみたのですが、おそらく由紀彦視点で話が進む都合上、彼の心情を読み進める事になるため、どうしても彼に感情移入してしまったのだと。そう考えると心情描写が上手い。
事実、動物園からの帰りの電車のシーン以降、彼が清子ちゃんに歩み寄る姿勢が覗えて、彼女のキャラクター性に変化をもたらせてくれました。
チャプターでいうオレンジトレインの部分はキャラクター性が特に感じられたシーンでした。
銀平君の欲望に愚直なところや、それを往なす由紀彦、眠っている清子ちゃん。これだけ見れば、仲の良い三人組に見えるのに……。とても好きなシーンです。
特に、電車の中で由紀彦が今日一日で清子ちゃんに近づけた気がしたって所。真実なんて分からないけれど、それはきっと傲慢なんだろうという感じがして、それを由紀彦が確かめようといろいろ質問する様がとても印象深いです。由紀彦に続くギンも同じく。清子と似た境遇だと知った由紀彦の心情も理解できる。
それに続くサンライズアンドサンセットでは由紀彦があの二人といる事(楽しい事)を優先する。そうなるくらいの積み重ねはあったんだなと感じられる。
こういったキャラクターの変化も、小さな積み重ねだと思います。

その前段階では彼ら三人、三様にそれぞれの家族感(正義というかルール? 上手い言葉が見当たらないけれど)が違う。そういった部分を会話の中だけではっきりと分からせてくれるのはありがたいです。
初めて、由紀彦が清子ちゃんの心の動きを心配する意味で気にしているのに気づいた部分も印象深かったです。これも積み重ねの描写があってこそだと思う。さすが。心の動かないヤツが死のうとしているのは何故だろう? という疑問、これもこの段階で深く思ったことなんだなあと思う。
そうして一人の価値観で出した答えが、死なないだろう。というところは非常に好き。自分でもそう思ってしまう。今までそんなことを考えもしなかったのだから、自殺、なんていうものは非日常であり非現実的なものと高をくくっていたのだ。あるいはそう思いたかったのだろうか……。
そんな想像の余地があってとても心地よく読み進められました。
キャラクター性に関しても、やはり小さな積み重ねがふんだんにあり、彼らの変化にも十分頷けるような物語の進行だったと感じられました。
難癖をつけるとしたら、ほんの少しだけくどさを感じる所もありました。
例えば、銀平君のキャラクター性はコミカルでありかつ、純粋というか年相応の弱さと、自身が虐められているという境遇であるということ。
後者は由紀彦の推察の手助けがあって、もしかしたら銀平は虐められているのでは? と中盤あたりで察する事が出来ました。
しかし、コミカルな部分がキャラクターの言動に多様に配置されている気がしました。キャラクターとしては魅力を持っているけれど、彼はそう言う人間ですと強く主張されていて、それが押し付けがましいような印象を受けました。

由紀彦と銀平が炭谷っぽいとは多少思いましたが、物語の中で二人ともちゃんと動いていて、炭谷が喋っているという感じはしませんでした。
彼の一面ではあるのかなぁと思うくらいでしたね。

・エンディングについて
二つのエンディングについて言いたい事があるので言わせてもらいます。
一つは、CITY LIGHTS。
このエンディングは非常に、炭谷らしいエンディングだと感じました。エンターテイメント性に富んでいて、ハッピーエンドかつ彼らしいギャグや下ネタ言葉遊びも盛り込まれていて笑わせてもらいました。○向○奈子は微妙なグラビアアイドルだったという事も立証されたし。
文章も、余計な情報がそぎ落とされていて、テンポが良かったです。分岐についても積み重ねられた選択肢でこのエンディングに着くというのもハッピーエンドに相応しいと感じました。

もう一つは、サードプラネット。
追加されたヤツですね。
このエンディングを、私は文章で頂いて読みました。前後関係はあまり覚えていないのですが、確か読む前に炭谷本人から『腹が立っている。その事について書いた』と聞いた気がします。
で、このエンディングへの導入は強引さを感じました。
先にも書きましたが、すいすいすいさいどは積み重ねがとても大切に描かれていて、それがしっかりと生きているんです。他のルートへの分岐の選択肢は、整合性の取れているものなのに、このルートへ行くための選択肢が個人的にちょっと弱い気がしたんです。
ルートとしての評価は後述しますが、他の部分でしっかりと描かれていたところがこのルートの選択肢だけ異質なんですよ。
個人的にもう少しこのエンディングへ行くまでの道のりを楽しみたかったというところです。
由紀彦が何故、こうなるのか? 狂気を感じさせる心情に至るまでの道のりが、そのほかのルート分岐と一つしか違いが無いなんて……。と感じてしまったんですよ。
でも、それだけ書きたかったんだろうなとも思いました。
実際読んでみて、すべてを組み取れはしないけど何個か思うところはあった。
地球の表面に寄生しながら、月の満ち欠けで身も心も思うままに動かせなくなる人間。どうしたいと思うかなんて関係ない。
この一節に、私は彼が以前言っていた性欲が月の満ち欠けによって左右される説を思い出した。性欲なんて自分じゃままならない。それによって私自身失敗した過去があるし、憤りを感じる人も少なからずいると思う。炭谷自身、失敗かどうかは知らないけれど、彼自身が人間の性欲(それ以外の欲求も)に敏感であり、それを他者からのはけ口にされるのを嫌う性格だと思っている。
こういう考えを、文章に落とし込む技術はうらやましい。
他にも由紀彦がぶっ壊しまくっているアイデンティティや欲求や自尊心。そんなことに振り回されてしまう自身や人間にも苛立っているんだろうと。
もっとも彼の場合、彼が周囲の人間に振り回されているというか、気持ちの悪い常識や価値観を押し付けられているのだと思う。
由紀彦がノートに書き連ねたモノもそうだ。炭谷はそうしなかっただけで、あれは炭谷の声だと感じた。
他にもあるけれど、炭谷自身や彼の周りすべてに訴えているような気がします。
もし、自意識過剰でなければ私自身にも、てめえは自分を壊せないから変われないんだというメッセージにもとる事ができました。

それだけ、怒りは説得力のある文字になるような気さえしました。
このエンディングが正直、自分の知りえる炭谷にもっとも近いと思う反面、一番以外な結末でもあった。彼はこういうことをしない人間だと勝手に美化していたのだと思う。そんな風に思っていた自分自身が気持ち悪い。

双方共に炭谷らしいものだと思ったのですが、CITY LIGHTSはエンターテイメント性を大事にする炭谷らしさ。
サードプラネットは、彼の欲望というか、ままならなさに嘆く様とか、先にも書きましたが怒りをぶつけたようなもの。上手い言葉が見当たりません、すみません。
いろいろ好き勝手書かせてもらいましたけど、とても炭谷らしい文章であり、彼らしい作品になっていたと思います。
少なくともいくらより売れる。そう思います。
こうしてレビューを書かせてもらうことをあり難く思います。

溝野 利一

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最後が僕、炭谷一郎が書いたレビューです。

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まず、シナリオを書いた本人がレビューを書くというのはそもそもアリなのか?
という話をせねばなりますまい。
嘘です。特にそういう話はしません。

レビューを書いたら話がそれまくったし、長くなりまくったので、すいすいのいいところわるいところを箇条書きにします。

いいところ
・中学生っぽい感じに描けた
・ルートごとに違ったエンディングにできた
・面白いギャグをいくつか書けた
・サードプラネットというルートで、新しい筆致で書けた(僕が嬉しいだけ)
・人を嫌な気持ちにさせるシーンをいくつか書けた

わるいところ
・必要のない文章が多い
・論理的に突き詰めようとし過ぎて文章が長くなりがち
・いらないシーンが多い
・主人公の感情の変化、行動の必然性に裏付けができていない部分がある
・清子ちゃんのキャラ薄すぎ
・後半は展開唐突過ぎ
・キャラクターの人間性を、キャラクター自身に言葉で語らせ過ぎ
・それも、ふと垣間見えるってことじゃなくて、「質問される」という形式なのはヤバイ
・音楽のセレクトに難があったかもしれない
・スクリプトももっと頑張れたかも

ネタバレをしない範囲で、抽象的にピックアップするならこんなところですかね。
本当はもっといっぱいありそうな気がしますが、とりあえずそういうゲームになった気がします。
以下、事前に「レビューしようとして書いた文章」です。

すいすいに点数を付けるなら、55点くらいです。
作っている段階ですでに、「これは処女作だし、失敗するのは目に見えている」と自分に言い訳していました。
それは、初めて付き合った人と、そのまま添い遂げることができる人なんてほとんどいないということとも似ていると思います。
現代の日本人の多くが、初めて付き合った相手とは、何らかの理由で別れてしまいませんか?
恋愛をするということに幻想を抱いていたり、自分のエゴの強さに気付くことができていなかったり……初めての交際は思い出したくないくらいヒドかった、と思う人は少なくないと思います。
もちろん、良いと思える点が何一つないのかというと、そうではありません。その点でも初めて女の子と付き合った経験と、とても似ています。
その経験を通して、自分の欠点に気付かされるというのは、成長のために必要だと思います。
見城徹さんが、「今の日本には宗教も戦争も、学生闘争もない。本当の挫折を経験できるのは恋愛だけだ」と言っていました。
この言葉、僕は深く共感するんです。
人間には挫折が……通過儀礼が必要なのだと思います。
たとえば、若いころから、何かに必死に打ち込む経験をしている人は、どこかで挫折を経験できるのです……体育会系の部活なんかがいい例だとは思いますね。
しかしそうでもない人……献身を求められる共同体に属したことのない人がどうなるのか。
今の日本では快楽原則に忠実なフィクションが溢れており、それらに耽溺する時間が長くなってしまわないでしょうか。
これが日本以外の国だと、宗教や地域社会といった共同体があるため、自分の欲望を満たすことに邁進する人が少ないんですよね。
(中略)
そういうわけで、僕は初めて女の子と付き合った経験が、今の自分が形成された要因として非常に大きいと考えています。
まともな人間にならないと、女の子と付き合えないぞ……という危機感を抱かせてくれました。
そしてそれから八年以上が過ぎましたが、当時よりはましな人間になれたように思います。
すいすいを55点くらいだと書きましたが、これから先も創作を続けていくうえで、今の自分がどの程度の人間なのかを把握することは重要だと考えます。
すいすいを作っていなかったら、「本気出したら90点くらいのゲーム作れるっしょ」という根拠のない自惚れを抱いたままだったかもしれないのですから。
人と付き合うという難しさも、物語を作るという難しさも、常に学び変わり続けなければうまくいかないという点では似ていると思います。
だから次の作品に向けて、すいすいの失敗を踏まえて、がんばろーと思います。

ただ、僕はその『失敗するであろうことがわかっていた』ゲームに、値段を付けて売りました。
それも1000円。安くないお金です。
お金を頂く以上、売る側には責任があります。
「同人なんて、好きな物を作って売るだけのところ」という意見もあるかもしれません。
けれど僕としては、どんな場所であれ、法人であれ個人であれ、売られる数が一万本であっても十本であっても、人からお金を頂く以上は、価格に見合った価値を提供しなければならないと思っています。
「これは練習台なんです。これからもっと上手くなるので、今回は目をつむってください」なんて口が裂けても言うべきではないと思います。
なら、自分が納得できるものが作れるまでは公開するなよorフリーで公開しろよという話になりますしね。
自分だったら「じゃあ次から買うわ」と思います。

ですが同時に、「価値があるかどうかは、対価を支払う側が決める」ことでもあると思うのです。
すいすいを手に取ってくれた人の収入がいくらくらいなのか、普段どんなことにお金を使っているのかは知る由もありませんが(その辺を調査するのはマーケティングの領域ですかね。僕はマーケティング大嫌いで、マーケティングマーケティングうるせーのは日本の病だと思っているし、これから食っていけるマーケッターはどんどん減っていくと思いますが)、千円を払う価値があると判断してくれたのだということです。
実際にプレイして、どんな感想を抱いたかもわかりませんが、買ってもらえたってだけで感謝していますよ。
好きな音楽評論家が「作家の意図なんか無視して、もっと好き勝手に音楽を楽しんでやれ」と語ったことがありますが、極端に言うとそういうことです。
僕が自分の好きなことを形にできたとしても、他の人がそれを好きになってくれるとは限らないし、逆もまた然りです。

とりあえず話をまとめると、すいすいは自分にとって習作という側面が強かったです。
しかし、2014年当時、表現したいと思っていたことを詰め込んだのは事実です。
具体的に言うなら、「みんななんで自殺したいと思わないの?」ということになるんでしょうか……。いや、それだけじゃない気がするなぁ。
完全自殺マニュアルという本がありました。
僕はその本を手に取る前から自殺志願者だったので、特にあの本に感化されたということはありません。
しかし七尾旅人さんという、僕の崇拝する音楽家が、「完全自殺~を書いた鶴見さんに会った。あの本は、人に自殺を勧めるためではなく、自殺を思い留まってほしいという意図で書かれたと言っていた。俺もずっとそう思っていたんだ」というようなことをブログで書いていたんです。
この逆説は非常に面白いんです
その後、宮台真司さんという社会学者も完全自殺~について、同じようなことを書かれていました。
「本当に苦しくなったら、自殺してもいいんだ」という選択肢が頭の中にあるのと、ないのとでは、人生の息苦しさが違うようなのですね。
もしかしたら僕が自殺を視野に入れながら、これまで自殺していないのも、自殺を想像することでガス抜きできていたのかもしれません。
ある意味では、往きて帰りし物語とも取れます。
「自殺を選択肢として考えたことがなかった」→「自殺も現実的な手段の一つだと考える」→「けれどやはり自殺せずに生きていくことを選んだ」。
現代日本の常識とは、意外と不寛容なものです。
自殺は不道徳だとされていないでしょうか。
少数派を許容できない人が多すぎると思います。
少数派であることは、何も悪くなんてない。
自分が生まれたところにこだわる必要なんて、本当はない。
もっと自由に、自分がのびのびと生きていける場所を、自分で探していけばいい。
というようなことを、一つの、メッセージの核として持っていた気がします。
そういった、メッセージ自体は嫌いではないんですよ。
僕が「これが世の中の絶対的真実だ」と考えているってわけではないのですが、そういう考え方もあっていいんじゃないのかなとは思います。
そういうイメージ・メッセージが織り込まれているという点では、すいすいはまぁわりと気に入っているところです。もっと上手いやり方があったに違いないのですけど。

作品全体の完成度よりも、そこに織り込まれているメッセージ・イメージを気に入るという人はわりといらっしゃるように思います。
ノンフィクションを読んで見識を広げるといった意味で、すいすいを楽しんでくださった人もおられるのですかね……。
いやもうわからないっす。
すいすいプレイした人に、もうちょっと詳しく話を聴いていきます。
次の作品に向けて特訓を続ける日々です。
『例えばな一日で1cmづつ進む,5日で5,1年で365
キャリアは5年で18m25もの スコアを叩き出すことができるっていう寸法だ』
ということですね。