このブログはフィクションである可能性がなきにしもあらず。実在する人物と関係があるようでないかもしれません

縹 ノベクタクルの代表。小説の執筆やゲームのシナリオも担当する。猫好き。
炭谷 ハイパーメディアクリエイター。AIDに入っていたはずだが……?
むに AIDの代表。
はれ AIDのイラストレーター。

「うわぁー!」
飛び起きた縹は、自分の身に何が起こったのかわからなかった。
息をするのさえ難しいような心地だ。
……ここは、自分の部屋のようだ。
見渡してみるが、どこにも変わった様子はない。
猫のマノンとアラジンは、窓辺で背中を丸めて眠っている。
あの子たちが自分にいたずらをしたということでもなさそうだ。
寝巻が水けを帯びて体に張り付いているのは、猫のおしっこではなく自分の汗のせいだろう。
……心臓の音が早い。
まるでマイ・アイアン・ラングのベースラインのようだ。
確かめるように息を吸った。
喉が渇いていて、空気が通るとひりひりと痛む。
空気を肺に溜めて、ゆっくりと吐き出した。
……苦しくない。
大丈夫だ。
なにか、悪い夢でも見ていたのだろうか。
起きてからほんの三十秒も経っていないのに、夢を思い出すことはできなかった。
まるで頭の中に壁でもあるかのように、起きた瞬間までしか遡れない。
縹は大きくため息をついた。
こんなに寝覚めが悪い朝なんて、いつぶりだろうか。
疲れているのかもしれない。
今は忙しすぎる。
自分でもそのことはわかっているのだが、状況が好転し始めたというのに、むざむざその流れを止めるようなことはできない。
怠惰に過ごすくらいなら、自分の時間を削ってでも仕事をすることを、私は選ぶ。
それに仕事にはやりがいもある。
仕事があるということは、人が私のことを認めて、支えてくれているということでもあるのだ。
悪い状況ではない……ただ、忙しすぎるというだけのことだ。

『ヴーッヴーッ』
携帯の画面には『炭谷氏来訪、あと15分』と表示されていた。
もうそんな時間か。
今日は炭谷一郎という男がこの家を訪ねてくる。
以前から顔見知り程度の関係ではあったが、縹がぽつりと漏らした「ノベクタクルの代表やってくれる人いないかなぁ」というツイートに名乗りを上げてきたのだった。
炭谷は昨年、『AID』に加入したと聞いていたし、自分でもサークル運営をした経験があるとのことで、ノベクタクルにかかわる事務手続きなどを任せることができるかもしれない。
そう考えた縹はとりあえず話を聞いてみることにしたのだった。
今、自分がこなさなければならない仕事は多すぎる。
ただでさえシナリオや小説の執筆があるというのに、ゲームの企画もあり、それらにかかる外部とのやり取りも絶え間なく入ってくる。
もし炭谷が本当に信用に足る人間であれば、少しずつ、自分の仕事を手伝ってもらってもいいかもしれない。
メールの返信など、炭谷が書いたものを自分が確認し、添削して送れば大幅に時間を短縮することができるだろう。
まぁ、その辺りは、炭谷の様子を見ておいおい考えていくことにしよう……。
ともあれ、今の自分にかかる負担が軽くなるかもしれないと思うと、ほっとするのも事実だ。
仕事のことを完全に忘れてリラックスした時間を過ごせるなど、久しく持つことはなかった。
そんな時間が訪れるなんて、夢のような話でもある。
……夢。
創作で身を立てていくことが夢だったはずなのに、今ではそこから逃避する事をどこかで願ってしまう自分がいた。
自分が作った作品が様々な人に触れられ、話題を呼び、さらに展開できることになった。
こんなにありがたい話など、ないはずなのだ。
しかしかかわる人が増えると、それだけ、心への負担が増えてしまうこともある。
もちろん多くの人に買ってもらうことを目指した作品だ。
しかし、メンバーたちと一緒に作っていた時には、想像もできないリアクションが多いのも事実だ。
いつしか縹けいかを知るよりも先に「ファタモルガーナの館」を知り、そして自分に接触を持ってくる人たちが現れた。
あの作品だけが私なのではない。
あの作品の登場人物の行動ひとつをとって、私という人間を知ったように思わないでくれ。
私は……。
トム・ヨークは『鉄の肺があってよかった』と歌っていたが、自分もそんなものが欲しいと心底思う。
誰だって様々な制約にからめられながら生きているのだと、わかってはいる。
人の言葉に左右されることなく、いつでも胸を張っていられることができれば……。

着替えと歯磨きを終えて、部屋へ戻ってきた。
そろそろ炭谷が来るかもしれない。
「とりあえず一度お話ししましょう」と返信をした縹に、炭谷は「じゃあ明日縹さんちに伺いますんで! よろしくお願いします! おやすみなさい!」と返してきた。
なぜいきなり家に……?
と訝しむ気持ちもあったが、たしかに代表の役割を説明するのにパソコンが使えた方が便利だし、打ち合わせ場所に出かけていく時間が惜しいという事情もあった。
善は急げという言葉もあるし、縹は炭谷の提案を了承してしまったのだ。
手持無沙汰になった縹は、スマホでツイッターにログインした。
「ん? メッセージがあるみたいだな」
しかも、何通も着ているようだ。
不思議に思いながらメッセージ画面を開くと、送り主はすべてMUNISIXだった。
AIDのシナリオライターであり、代表でもある人物。
炭谷がウチの運営も手伝ってくれるとのことなになったので、昨日縹からむににメッセージを送っていたのだ。
しかし、こんなに大量にメッセージを送ってくるなんて、いったいどうしたのだろう。
最新のメッセージが画面に開かれる。
と同時に、電話着信を知らせる画面に切り替わった。
時間から考えるに、炭谷が到着したのだろう、着信に応じた。
「もしもし」
『縹さん縹さん! 炭谷です! 起きていますか!? お家の前に到着しました! 開けてください! 炭谷ですよ~~い!』
なんだこのテンションは……うるさすぎる。
「今開けますんでちょっと待っててください!」
電話を切って、玄関へ向かう。
廊下を歩く間にむにからのメッセージを読もうと思い、スマホの画面に目を向けた。

『縹さん……やつを家に入れてはいけない。今なら間に合う。取り返しのつかないことになってしまいます』

「……なんだこれ?」
その前のメッセージの続きだったのかもしれないが、ドアの前にたどり着いていたので、スマホをポケットに突っ込みながら玄関を開錠した。
このメールをしっかり読まなかったことを、のちにあれほど悔むことになるなど夢にも思わなかった。

「わざわざ来てくださってありがとうございます」
「いえいえ全然そんなこと! へぇーここが縹さんちなんですね。ここからあの名作が誕生するんだぁ……」
縹の家のリビングに、中折れの黒ハット、黒縁のおおぶりなダテ眼鏡、白Tシャツにワインレッドのジャケットという出で立ちの男が鎮座している。
ちなみにツーブロックのヘアスタイル、口のまわりには黒い髭。
このどこに出しても珍しくないハイパーメディアクリエイターが、炭谷一郎である。
「で、代表の役割についてなんですけどね。いきなり全部のことをお任せするっていうのも炭谷さんにとって大変だと思うので、まずはイベントの申し込みとか、ツイッターやブログでの告知とかをやってもらいたいんです」
「はい!」
「それ以外のことは、ちょっとずつサークルのことを知ってもらってから決めていこうと思うんですが……そういう感じでいいですか?」
「全然オッケーでございます。僕の方はなんでもやらせてもらいたいんですが、その辺はおいおいですね!」
「なんでもというと、たとえば?」
「まぁ、僕もシナリオライターとしてやっているんで、そっちの方もバリバリやりたいと思っていますね」
炭谷はまだ一作もゲームを出していなかったはずだが……。
しかし、シナリオを書いている時に、詰まってしまった部分について相談できる相手がいたほうがスピーディに解決できることも事実だった。
創作にスピードや効率を求めるのが最善というわけではないかもしれないが、今はそんなことは考えていられない。
自分が作る物に、大勢の人が関わっている。
一人で自分の好きなことだけ書いていればいいという状態ではない。
定められた期限の中で、クオリティを落とさずに書き続けなければいけない。
そんな状況なので、相談できる相手は一人でも多くいると確かに助かる。
「どこか今、詰まっているところとかないんですか?」
「そうですね、実は……」
縹は現在執筆中の、ファンディスクのシナリオの展開について話した。
プロットは決定していたものの、書いている途中でクライマックスの辺りがどうにも盛り上がりが足りないように思えてきたのだ。
「なるほどですね~。こういう時は有名な作品を参考にするのが一番ですよ!」
一理ある意見だ。
こういうことをすると「パクリだ」「オリジナリティがない」と批判する声もあるかもしれないが、創作物の「構造」を抜き出して引用するという行為は避けては通れないのが実情だ。
無意識に他の作品を引用していることに、自分でもあとから気付くということはきっと多くの創作者が経験しているはずだ。
「たとえば、どんなのですか?」
「そうですね~……なにか、書くものとかお借りできませんか? 今、ちゃちゃっと書いちゃいます」
「書くものですか……ノーパソとかでもいいですか?」
「オッケーでございます~」
炭谷は右手でグーサインを作った。
なんか一挙手一投足がウザいな……。

「よーし、こんな感じでどうでしょうか!」
ノートパソコンのキーボードを叩くこと10分ほど、炭谷が声を上げた。
「えっ、もうできたんですか?」
炭谷がこちらに向けてきたディスプレイを覗いてみる。
そこには……

ミシェル「オッス! オラミシェル! ここが天下一バトルトーナメントの会場か。この日のために一年間修業を積んできたのだ。優勝目指していっちょやってみっか!」

ミシェル「モルガーナのことか……モルガーナのことかーーーーー!!!!」
ドウッ!
ミシェルの髪が金色に変わり、天突くように逆立った。

ミシェル「大丈夫だ。みんな死んじまっても、ファタモルボールを集めれば生き返らせれっぞ!」

エメ「ミシェル……おまえがナンバーワンだ!」

「……な……!?」
声も出せなかった。
「どうですか縹さん。完ぺきでしょう! アニメ化されて水曜夜七時に放映されたり、原作が終わって20年近く経っても映画化される未来が見えてきませんだろうか!」
「いや、後者は後者で良いことなのかどうかわからないですけど……」
「なに言ってるんですか! それだけ需要があって、業界にお金をもたらせるということは優秀なコンテンツじゃないですか!」
「ていうか、なんですかこの怪文書は……」
「ふっふっふ……展開に困ったらバトルトーナメントやっときゃいいんですよ☆彡」
「人気があるところから持ってくればいいってもんじゃないですよ! だいたいファタモルのテイストに全然合ってないじゃないですか!」
「大丈夫ですよ! ギャグからバトル漫画に転向したって誰も突っ込まないということは、ジャンプの諸作が証明してますから。ファタモルも長続きさせたいなら、やっぱバトルっすよ!」
この野郎……人が魂込めて作ったものに対して、よくもそんな軽々しい意見を……!
「創作って言っても、作る為には人が動くし時間も掛かりますからね。リスクを抑えるためにはやっぱり人気の作品を研究して、成功するための要素を盛り込むことが重要ですよね~。あと、もっと売れるためには、やっぱりわかりやすいことが大事ですよ! ファタモルはほら、みんな髪の色が黒とか金とか茶とかじゃないですか。ここは思い切って、クールなキャラの髪色は水色、ツンデレキャラの髪色は赤とかにしちゃいましょう!」
……こいつに相談した私がばかだったな。
「そうですね……ちょっと検討してみることにします」
こういう手合いは、受け流すのが一番だ……。
やはり業界でやっていくためには、スルースキルを磨いていかないといけないらしい。
「はっはっは、良いんですよ縹さん……僕も作品のクオリティアップに貢献できてうれしいです。大丈夫ですよ、コンサルティング料は、いただきませんから。あっはっはっはっは!」
「まのぉーん」
マノンが首輪の鈴を鳴らしながら、リビングに入ってきた。
「!? は、縹さん、それもしかして、猫ですか!?」
「え、そうですけど……」
「ウワァァァアーーー!!!!」
突然叫び声を上げて、椅子から立ち上がる炭谷。
「どうしたんですか!?」
縹の呼びかけには答えず、窓の方へ駆け出して……
『ガシャーン!』
硝子に突っ込んでしまった。
「えぇー!?」
なにが起こったのかわからず、茫然としてしまう。
割れた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
「……これ、どうするんだろう」

チャイムが鳴らされたので玄関を開けると、そこにはダースベイターが立っていた。
正確には、顔中を覆うガスマスクのようなものを装着した人間がいた。
「えっ、どちら様!?」
「やだなぁ、炭谷ですよ炭谷」
シュコーシュコーと鳴らしながら答える男。
「す……炭谷さん!? なんですかそれ」
「猫アレルギーなので、これをつけてないと大変なことになっちゃうんですよ僕」
「あぁ、そうなんですか」
「けど、これがあるからもう安心です。あ、窓割っちゃってすみませんでした。今直しますね」
「直す……?」

「よーし、これでいいでしょう。冬場ですし、窓が割れたままじゃ凍死しちゃいますからね。無限ヒャダルコ状態ですよ」
「……」
縹は、外と内から一枚ずつ新聞紙が張られた窓を見つめた。
どう見てもおかしい……風は防げるものの、冷気はガンガン入ってくる。
なにが、これでいいでしょうなのか。
「いやぁ、別に猫は嫌いじゃないんですけどね。呼吸がままならなくなってしまうんで、近寄れないんですよ」
「じゃあ、場所を移しましょうか?」
「いえいえ、ここでいいんです! 縹さんに移動の手間を煩わせるわけにはいきませんし、ここで縹さんのお手伝いをすることが代表の務めですから!」
「え? 代表の務めって……サークル運営の手続きとかそのあたりからお願いしようかなと」
「なにを水臭いこと言ってるんですか縹さん! 僕たちはもう仲間じゃないですか。これからしばらくはずっと縹さんについて、縹さんのサポートをさせてもらいますよ!」
「いや、けどやってもらうことなんて、そんなにないですよ」
「それでもいいんです。お傍について、縹さんの仕事のしかたとか……シナリオの書き方とかを学ばせてほしいんです。……だめでしょうか?」
炭谷が自分からなにかを学びたいと思っているなら、自分は普段通りに仕事をしているだけで構わないのだ。
それにこいつがだんだんと自分のやり方を覚えていったら、任せられることも増えるかもしれない。
ウィンウィンである。
「けど、AIDさんのほうでやることとかはないんですか?」
「えっ、えあっ、AIDはですね、しばらくはなにもないんじゃないかなぁ~……」
なにか、あからさまに慌てふためく炭谷。
……違和感を覚えるが、まぁ、別に突っ込んで聞くほどのことでもないだろう。
「じゃあ、わかりました。しばらくの間、よろしくお願いします」
「そうこなくっちゃ! こちらこそよろしくお願いしますね!」
こうして炭谷は、縹の家へと通ってくることになった。

「じゃあ、そのパソコンは炭谷さんの作業用に使ってていいんで。なにかあったら呼んでください」
縹は自室へと戻っていった。
炭谷はリビングで、あやしげな微笑を浮かべた。
「くっくっく……上手くいったようだな。今や同人ノベルゲームでもトップクラスの人気サークル・ノベクタクルに潜入することに成功したぞ! 処女作ファタモルガーナの館がリリースから二年が経過した今でもその人気は衰えることを知らず、さらにコミック版連載、ドラマCD化、原作者縹けいかさんによる小説版も出版社をまたいで発売されるなど、まさにモンスター級の作品! 縹さんはノベクタクルの活動に限らず、業界のいろいろなところで仕事をしているし、この人にひっついていれば美味しい思いをしまくれることは保証されたようなもの! すいすいすいさいど? そんなもんどうでもいいんだよ! 俺はちまちまと自分の好きなことをしてるより、人脈作って金稼いで、上へ登りつめていくことを選ぶね! そんな俺のハイパーメディアクリエイティブライフが、ここからさらに勢いを増していくぜ! さっきのシナリオの提案で、縹さんの俺に対する評価はうなぎ上りだ! そしてこの調子で縹さんの腰ぎんちゃくやってれば、自然に、あそこへも連れて行ってもらえるはず……そう、あそこへな!」
やたらと長い台詞回しで、己の計画を全て説明し尽した炭谷。
果たして彼の目論見はうまくいくのだろうか……。

「あ、ファタモルのドラマCDの担当者さんからメールだ。……明日のボイス収録の台本を、念のため最終確認してください? 炭谷さんにお願いしてみようかな……」
ドラマCDの台本については何度も確認を行っているので、おそらくミスはないはずだ。
メールの返信も、なにか重要な情報の取り扱いがあるわけでもないし、炭谷に任せても問題は起こらないだろう。
それに、彼が書いた文面を一度自分が確認してから送信するようにすればいいわけだし。
縹は炭谷に貸したノートパソコンにチャットを飛ばした。
『炭谷さん、このメールの返信なんですけど、試しに炭谷さんにお願いしてみてもいいですか?』
『お安いご用でございマンモス ٩( ‘ω’ )و がんばるぞい』
瞬時に返信が届いた。
……文面からウザさがにじみ出てくるって、逆に凄いな……。
とりあえず、これでまた自分の執筆の仕事に戻れる。
やはりメールの返信などで集中力が途切れてしまうことはあったので、これを人に任せられるだけでシナリオの仕事はだいぶ捗るかもしれない。
あれはウザいものの、悪くはないかもしれないな。

「あれ、またドラマCDの担当さんからメールだ。……なになに」

『縹さん、先ほどのメールで台本の修正でセリフを追加されていましたが、ちょっと台本の流れに合わないかと……。あれはどうしても入れないとまずいでしょうか?』

「……は? なんだそれ?」
というか、炭谷はもう返信したということか?
先方に送る前に、自分にメールを送ってくれと言っておいたはずなのだが……。
ともあれ、一度その台本の追加台詞を確認してみることにした。

「ちょっと、炭谷さん!」
「なんでございま醤油さし」
「どういう返事ですか! いや、そんなことどうでもいい! なんで勝手に返事送っちゃうんですか。先に私に見せてくれって言ったじゃないですか」
「いやいや、それはですね、やっぱりデキる新人の心得として、『頼まれたことにプラスアルファーで仕事をこなせ!』を実行したまでですよね。いや、お礼なら必要ないですよ縹さん!」
「百歩譲ってメールを勝手に送ったことはいいとしても、台本の書き換えなんて私お願いしてませんよね?」
「えっ、だだだっ、台本の書き換えですって? 何の話だかわけわかめ……」
「誤魔化すなあぁ! 前回確認した時に入ってない台詞が、追加されてるんですよ」
「えぇー、それは僕じゃなくて、先方さんのミスじゃないですかぁ?」
嘘をつく時は堂々と言え。
そして自分の不手際は、出来る限り他人のせいにしろ。
ハイパーメディアクリエイターの先人たち、秋元康しかり、みんないいところは全て自分のものにし、非は認めず上手いこと他の者に擦り付けるのである。
「『一郎お兄ちゃん、だぁーいすきっ』『炭谷君……私ずっと……あなたのことが好きだったの(キス音入れてください)』」
縹は台本に追加された文面を読み上げた。
「しっ、しまった!」
限りなく黒に近い状況証拠を突きつけられた炭谷は、顔面蒼白になった。
そんなに欲望を発露させていたのかと、自分で驚いた。
「これがお前じゃなくて、どこの誰が入れるんだよ!」
縹が炭谷の頭を殴りつける。
「ガフッ!」
「いいですか、二度と勝手なことはしないでください。今日はもう帰っていいですから」
「はぁ~い。明日のボイス収録、楽しみですね! 僕はじゃあいったん縹さんちに来ますんで、そのあと一緒に現場に入りましょう」
「……は?」
「え?」
「なんで炭谷さんも現場に来るんですか?」
「あったり前田じゃないですか! 僕は縹さんの一番弟子ですから、縹さんの仕事の現場には常にぴったりとくっついていきますよ」
「いや、急にそんなこと言われたって、私が仕切る現場じゃないですし、前日になっていきなり見学者を増やしたいなんて言えませんよ」
「そ……そんな……なんとかならないんですか!?」
「なりませんよ! ていうか私だって現場で口を挟んだりできるわけじゃないんですから!」
「けど、原作者でしょう!?」
「原作者だからって、ファタモルにかかわること全部が私の思い通りに動いてるわけじゃないの! そういうもんなの!」
「そ……そんな……」
「諦めてくださいよ。しょうがないんですから」
「お、お願いします! 僕を……僕を収録の現場に連れて行ってください!」
炭谷は縹の足元に手を付き、頭を下げた。
「ちょっと、炭谷さん、そんなことしないでくださいよ……」
「お願いです! 僕の……僕の昔からの夢なんです!」
『夢』という言葉を聞き、縹はドキリとした。
ゲーム業界に身を置くようになって早数年……。
出会った仲間たちと、夢を語り合った日のことを思い出した。
ある者はイラストを極めたいと言った。
ある者は音楽で人を感動させたいと言った。
ある者はシナリオで人の人生を変えたいと言った。
しかし現実は非情にも、人を挫いていく。
何人かの仲間は、夢を叶えることができないまま、業界を去っていった。
慰めの言葉は、時にとても残酷なものになると知っていた自分は、そんな仲間たちを引き留めることもできなかった。
……こんなにもストレートに『夢』を自分に打ち明けてくれた者など、久しくいなかった。
自分の采配で、一人の夢を持った者の手助けができるとしたら、なにかしてやってもいいんじゃないのか……?
縹の頭に、去っていった仲間たちの姿がよぎる。
一人で座学を続けるより、一度現場を見てみる方が学べることは多いものだ。
自分が、恥と迷惑を掛けることを承知で、担当さんに見学者を一人増やしたいと聞くことで、炭谷の夢の実現に近付けてやれるのであれば……。
「炭谷さん……。ボイス収録の仕事をすることが夢だったんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです! 阿○○○さんに、乳首をなめられながらお腹におっぱい乗せてもらって手コキしてもらうのが、昔からの夢なんです! 現場に行けば○○ミスにも会えるじゃないですか!」
「は? な、なんて……?」
自分の聞き間違えだろうか。
なにやらやけに長ったらしく、公序良俗に反するような言葉が次々と出てきたような……。
「いやだから、阿○○○さんに、乳首をなめられながらお腹におっぱい乗せてもらって手コキしてもらうのが、昔からの夢なんです!」
全然聞き間違えてなかった。
私の純情を返せ……!
縹は怒りを飲みこんだ。
「……それを私に話して、「それならしかたがない、連れて行ってやろう」ってなると思いますか?」
「はい! やはり情熱を伝えることが、人を動かすことになると思うので!」
「その言葉の使い方、なんかおかしくないか!?」
縹は思った。
こいつ、このままいくと、どこかで犯罪者になるぞ。
「あ、あと、溝野に先を越されたくないんですよ」
「は? なんで溝野さんが?」
溝野とは炭谷のサークル、シンコシンクのメンバーである。
「あいつ、LIKE LIE CRY作ってる時に『俺の理想のセックスはさぁ、床の上で花○香○に騎乗位をされながら悔しそうにしてる炭谷さんをちょっと上から眺めながら、ベッドの上で阿○○○さんに乳首なめられながら、お腹におっぱい乗せてもらって、手コキしてもらうことだよね。もう、優越感半端じゃなんじゃんそれ』とか言ってたんですよ!(実話) 僕のアイデアをパクったうえに、理想のセックスにサークル活動の相方(同性)を登場させるというキチ○イとしか言いようのない野郎ですよあいつはマジで」
「お前らどっちもおかしいよ! サークラするわ! そらするわ!」
シンコシンクは、二人とも弩級のキチ○イじゃないか……。
「とにかくお願いします! 僕を現場に連れて行ってください!」
「……そうですね、じゃあまぁ、検討してみます」
先ほどよりも上手くスルーできるようになったな、と縹は実感した。
「じゃあ、明日はとりあえず縹さんちにお邪魔しますんで! よろしくお願いしますね!」
「いや、ボイス収録は昼からあるんで、昼前には私ここを出ますよ……」
「いいんですいいんです! わずかな時間でも、ここで縹さんのプロフェッショナル仕事術を学ばせてもらいたいんです!」
炭谷はプレッシャーを与えることを忘れなかった。
明日ここに来ることにしておけば、縹は『せっかく来てもらっているのだし……』という情から、自分も連れて行ってくれる可能性が高い。
ハイパーメディアクリエイターたるもの、いつなんどきでも無言のプレッシャーを与えていかねばならない。

『テレテュンテケテレッテュン♪ テレテュンテケテレッテュン♪』
「ん……うぁ……?」
縹は着信の音で目が覚めた。
そして反射的に出てしまう。
『あ、もしもし縹さんですか!? 起きてます? 炭谷ですよーい!』
「な、なんですか……?」
『明日電機屋に寄ってから行こうと思うんですけど、なにか買っていくものありますか?」
「いや、特にないですけど……」
『わっかりましたー。いやぁ、細かい気配りができて、僕ってばほんとデキのいい新人ですね。じゃあ明日の朝、お家に伺いますんで。それじゃ、おやすミミガー!』
嵐のような勢いで電話が終わった。
今はいったい、何時なんだ……。
携帯のディスプレイには、午前二時半と表示されていた。
「頭狂ってんのか!!」
縹は思わず声を上げてしまった。
「ひゃー!」
二匹の猫たちが身体をビクッとこわばらせる。
「ご、ごめんね猫ちゃんたち……。私の癒しは君たちだけだよ……」
縹は猫を抱きかかえ、そのお腹に顔をうずめながら目を閉じた。

「おっはよーございまーす!」
「……おはようございます」
結局あのあと、変なところで起きたせいかあまり眠れなかった。
昨日の疲れが抜けきっていない。
それに対してこの男は、なぜこんなにエネルギーに満ち溢れているのだろうか。
世の中、不公平だ……。
「どうでした縹さん!? 僕も行っていいんですかね」
「そうですね……打診をしたら、一人くらいなら平気とのことだったんで」
「いやったぜー! ア○○○! 生ア○○○! ナスミス! 味噌茄子! ネスミス!」
「最後のはエグザイルじゃねーかよ!」
「キャッホーイ! フルルルルルルイヤッホーーーーウイッ!!!!」
……もうだめだ。
体調が万全ではないうえにストレスが尋常ではない今、こいつのことを相手にしていられない……。
「じゃあ、まぁ……出かけるまで、私は部屋で仕事していますんで。なにかあったら呼んでください」
「はい! よし、ア○○○の動画でも観てよう」
「あの……動画観ててもいいんですけど、本人の前で『ニコ動観てます!』とか絶対言わないでくださいよ」
「え!? なんでですか!?」
「なんでも!」
理由を言うのが面倒になったので、縹はそのまま部屋に帰った。

「……もうこんな時間か。ぼちぼち準備しないとな」
炭谷にも声を掛けようと、リビングへ向かう。
「あのー、炭谷さん、そろそろ出かける準備を……」
「あっ、はい! 僕はいつでもオッケーです!」
炭谷はリビングの床に座り込んで、なにか見慣れないものを抱えていた。
形は四足歩行をする動物に見えるのだが、毛が生えていなく、なにやら頼りない印象だ。
炭谷は右手に、バリカンを持っていた。
「……まさか、炭谷さん、それは……」
「まのぉーん……」
頼りない動物が情けない鳴き声をあげる。
「マノーーーーーーンッッッ!!!」
「ひゃーっ……」
部屋の隅から、生気が尽きたような鳴き声が聞こえる。
「アラジーーン!!!」
こいつも、バリカンの餌食になっていた。
ガスマスクを装着し、バリカンを手に持つ男の不気味さといったらない。
「なにやってるんですか!」
「いや、猫アレルギーの原因って、主に毛らしいんですよね。だから、こうしておけばアレルギーの症状も出ないかなって思いまして! はぁ、空気が美味しい」
ガスマスクを外して深呼吸する炭谷。
「ふざけんなー! 動物虐待ですよ、これは!」
「けど、作業効率を考えたら、こうするほうがいいじゃないですか。あ、あと、これ経費で落ちますよね?」
炭谷は電機店の領収書を突き付けてきた。
「落ちるわけねーだろ、クソ野郎!!!!」
縹は両手で炭谷の顔を持ち、一気に横に回転させた。
「ずんずん!!」
炭谷の首からバキバキと大きな音が響き、顔を背中側に向けて、その場に崩れ落ちた。
「あ……あぁあ……やってしまったー!」
縹は怒りに我を忘れ、一人の男を死に至らしめてしまった。
しかもこの死にざま……。
縹は2ちゃんの書き込みを想像して、胃が痛くなった。
「ど、どうしよう……あわわわわ……」
とんでもないことをしてしまった。
炭谷にも大きな非があるとはいえ、どんな場合でも、殺人の罪は大きいものだ。
せっかく、ここまできたというのに……そんな……。
「ウッ……ウウウウウッ……!」
「ひいっ!」
炭谷の体がブルブルと震えはじめた。
そして、倒れた体勢から足だけを使って跳ね起き、自分の手で頭を元の位置に戻した。
まるで映像を逆再生で見ているかのようだった。
「ギャー!」
「ふうー、痛かったぁ……」
「なにものだよ!」
「え、炭谷ですよやだなぁ縹さん」
彼はへらへらと笑いながら答える。
「いや……ていうか、今……首、折れてませんでしたか?」
「あぁ、あれぐらいなら余裕っすよ。牛乳好きなんで、骨には自信あります!」
「そういうもの!?」
「いやぁ、それでも痛いものは痛いですけどね。これは貸し一ですね、縹さん!」
「貸し一で済むものなら全然いいんですけど……」
「ま、僕はいつでも準備できてるんで、出かける時になったら声かけてください!」
「わ、わかりました……」
縹はマノンとアラジンを脇に抱えて、自室へ退却した。

「おかしい……あんなの、普通じゃない……」
縹は身体の震えをおさえることができなかった。
寒さなど感じないのに、歯ががちがちと音を鳴らしてしまう。
「はっ! そういえば、むにさんからのメッセージ……!」
炭谷を迎える前に、むにから着ていたメッセージを読みおえていないことを思い出した縹は、ツイッターを開いた。
そしてむにのメッセージを、一番はじめに送られたものから読んでいった。

『すみません縹さん、はれさんの面会に行ってきていたんです。彼女は今山の奥で暮らしているので、携帯の電波が入りませんでした。……そこは精神病院なんです。はれさんは廃人になってしまいました。炭谷一郎のせいで……』

「……なんだって?」
縹は画面をスクロールし、メッセージを読み進めた。

『始めからおかしなところはあったんです。なぜかやたら家に来たがったり、頼んでもないことをいろいろとやるようになったり……。それだけだったら、ただのおかしなやつで済むのですが、話はこれで終わりません』

『はれさんが見たって言うんです。やつの背中から触手が伸びて、尻からご飯を食べていたって。俺も最初は、そんなことあるはずない、冗談だと思いましたよ』

『しかし決定的な証拠をつかみました。やつが、ブゥードゥーの神に祈りを捧げているところを見たのです。そしてアンブレラ社の社員証が財布に入っていました。俺は、やつの隙をついて、後ろから斧で斬りかかりました。肩と首に一発ずつぶち込みました。やったと思いました。しかしやつの傷口はみるみるふさがっていき、窓から逃げていきました』

『やつを追いかける手段がなかった俺は、精神崩壊してしまったはれさんを病院に連れて行きました。俺にできることは、引っ越しをして、やつと二度と出会わないように祈ることだけでした……』

『あいつがノベクタクルに入るというのは計算外でした。縹さん、あいつはバケモノです。そのうち、ノベクタクルも乗っ取られてしまいます。嘘のように思えるかもしれませんが、これは本当なんです。どうか信じてください』

『縹さん……やつを家に入れてはいけない。今なら間に合う。取り返しのつかないことになってしまいます』

「うそ……だろ……?」
普通だったら、こんなメッセージを信じるはずなどない。
しかし、先ほどの異常な光景を見た後では……。
『ドンドンドンドン』
「縹さん、縹さん。そろそろ出発しないとまずいんじゃないですか。ここを開けてくださいよ~い」
「ひっ!」
「開けてくださいよ縹さん。……縹さ~ん……」
『メキメキッ』
ドアのノブが異様な音を立てた。
見てみると、ドアのかぎが壊れてしまったようだった。
「どんな怪力だよ!?」
そしてドアがゆっくりと開かれる。
「やだなぁ縹さん……早く……ア○○○に会いに行くんですから、遅刻なんてできませんよぉ~……?」
炭谷の背中からは、うねうねとうごめくぬめった触手が生えていた。
そうか、触手の力もプラスして……。
どうやら本物のバケモノだったようだ。
もうだめだ……私は、やつにやられてしまう。
少し油断して、こいつに気を許したばっかりに、全てが台無しになってしまう。
いや、これでいいのかもしれない……こいつの言うように、「リスクの少ない企画」「お金を稼げる優秀なコンテンツ」を作って、そこそこにやっていくのも、また人生か……。
「フシャー!」
「いたっ!」
マノンとアラジンが、縹の手に噛みついた。
「そ、そうだ……私にはまだ、書かなければならない物語がある!」
こんなところで、クリエイターのおこぼれに与ることしか考えてない屍人のようなやつに、やられるわけにはいかないのだ。
大事なことに気付かせてくれてありがとう、猫たち。
……一か八か、やってみるしかない。
「うおおおー!」
縹は炭谷の足にタックルをかまし、体勢を崩させた。
「マノン! アラジン! やれー!」
「マノーン!」
「ひゃー!」
二匹の猫が、炭谷の顔にとびかかる。
そして顔中を舐め回す。
弱点は分かっているのだ。
毛はないといえども、猫アレルギーなのであれば、唾液にも反応を示すかもしれない。
その可能性にかけるしかない!
「グオッホ、グオッホゴホ! ゲホッホゲホゲホン! ウゲーッ、ゲホッ。グヘッ……ゲホゲホ……あっ♡ そこはっ♡ ……グエッヘッフォン! ……ケホ………………………………………………ウッ…………………………ヒュコー……………………………………………………………………」
そして炭谷は、ピクリとも動かなくなった。
「……やったか?」
動かなくなった炭谷の体を、足の先でつっついた。
すると、大きく痙攣した。
「うわ!」
しかし動いたのはその一度きりだった。
炭谷の肌がどろどろと泡立ち、溶けていった。
床には骨だけが残った。
部屋はとてつもない腐臭が漂った。
「勝った……私は、勝ったんだ!」
「そう、君は醜い化け物に打ち勝った」
マノンが自分の顔を洗いながら喋った。
「え!?」
「炭谷一郎という、腐った業界人の誘惑に負けなかった。君は偉いよ、けいか」
「あ、アラジンまで!」
「君は自分を信じることを学んだんだ。これからも、やっていけるさ」
「ね、猫が喋ってるうー……。しかも思ってたより大人っぽい口調だよ……もっとかわいいと思ってた……」

「うわぁ!」
縹は飛び起きた。
マノンとアラジンは窓辺で気持ち良さそうに眠っている。
……ちゃんと、毛も生えている。
そばにいって、二匹の頭を撫でてみる。
「お前たち、なんとか言ってみ?」
「まのーん」
「ひゃー」
やっぱりこうでないと。
今度は、さっきまで見ていた夢のことをはっきり覚えていた。
やたら変な夢だったが、こうして目覚めてしまえば、別にどうということはない。
縹はひなたに立ち、大きく伸びをした。
夢の中で猫に褒めてもらうなんて、私は相当追い詰められていたのかもしれない。
「はははっ」
けれど、悪い気はしなかった。
なにか大切なことを思い出したような気がする。
こんなに気持ちの良い朝は、久しぶりかもしれない。
『ヴーッヴーッ』
携帯の画面には『炭谷氏来訪、あと15分』と表示されていた。
「な……!?」
急いでツイッターにログインする。
メッセージがいくつも届いている。
全て送り主はむにだった。
そして画面が、着信を知らせる。
私は……。