5/スパイラル

「終わったなー由紀彦! さっさと帰ろうぜ!」
ギンは下校のホームルームが終わったのとほとんど同時にやってきた。
昨日の放課後に過ごした時間がこいつとしては大満足だったようで、今日は朝からずっと上機嫌だ。
テストがいくつか返ってきて、当然のように点数が低かったのにもかかわらずこの調子でいられるのだからすごいと思う。
「おまえ、よく落ち込まないでいられるよな」
「え? なに言ってんの、これから清子ちゃんと遊べるっていうのにどうやってわくわくをおさえろっていうんだよ」
……まぁ、本人がそれでいいなら別になにも言うことはないのだけど。
「で、今日は由紀彦の番じゃん。なにすんの?」
にまにましながら俺の肩を揉んでくるギン。
ここまでテンションが高いのも気持ち悪いな……。
「とりあえず、高塔と会うまでは秘密」
こいつに言うと不満を垂らしまくりながら全力で反対してくる気がするから、とりあえず今は黙っておこうと思った。
「えー、なんだよそれ! ちゃんと考えてきたの?」
「失礼なやつだな。……あ、おまえ、体育館履きは?」
「え? あぁ、そう言えば持ってこいって言ってたっけ。なんに使うの?」
「秘密だっつうの。とりあえず持ってこいや」
「うぇー、めんどくせえよ……」
「まぁ、持ってこないならそれでもいいけど、あとで泣きを見るのもおまえだからな」
「ちぇー」
ギンは体育館履きを取りに、教室の後部に並ぶロッカーのほうへ行った。

「んで、これからなにすんの由紀彦」
雑木林で高塔と合流すると、ギンはすぐに尋ねてきた。
「高塔、体育館履き持ってきたか?」
「うん」
高塔は小さくうなずいて、手に持った巾着袋をこちらに向けて掲げた。
体育館履きなしでもなんとかなるが、靴下だとつるつる滑るからな。
「バトミントン」
「えぇーっ!?」
やっぱりな、こういう反応するだろうと思ってたよ。
「市民体育館あるだろ。あそこでやらせてくれるから」
「なんでバトミントンなんだよ!」
「なんでっておまえ、面白いからだろ」
「えぇー、運動なんて面白くないよぉ」
「それはおまえがサボろうとするからだろ! ちゃんとやれば面白いし、体動かしてれば気持ちいいだろ」
「気持ちよくないよぉー」
あぁ、もう、これだからこいつは……!
「今日は俺がすること決めるってことに決めたのはおまえだろ! 高塔はどうなんだ」
「いいよそれで」
無表情で答える高塔。
「高塔は運動好きか?」
もうちょっと俺に有利でギンに不利な意見を引き出したいので、続けて聞いた。
「……わからない。嫌いじゃないと思うけど」
「ぐ……」
こいつもこいつで、感情の波がほとんどないまったいらなやつだな……!
……けれど高塔だって同じ人間。
それに太ってもないから、ふつうに運動するのに支障はないはずだ。
体を動かすことは気持ちがいい。
これはかなり原始的な快楽ではないかと思う。
人間誰もが欠かさずに感じることじゃないだろうか。
「とにかく、体育館に行くぞ! つまんなかったら、ギンは見てるだけでもいいよ」
「んー……。まぁ、そんなに言うんならしゃあないな」
せっかく、初心者でもそれなりに楽しめそうなバトミントンを選んだっていうのに、こいつらのこの反応ときたら、考えた甲斐なんて感じられないものだった。
……ん?
ギンが駄々をこねるのは予想できてたことだ。
じゃあ、高塔が喜ぶとでも思ったのか俺は。
……そんなことはないよな。

「あ」
「ん? どうしたの由紀彦」
「ラケットは受付で借りれるんだけど、羽は自分たちで用意しなきゃいけねーんだった」
このことを忘れていたわけではないけれど、二人に伝えていなかった。
まぁ公園から体育館への道の途中で買えるって知っていたから、最悪でも店の前を通るときに思い出したはずだし、別に問題はないのだ。
「バトミントンの羽ってどこに売ってるの? スポーツショップとか?」
「いや、もうちょっと行ったところに百円ショップあるじゃん。あそこに売ってるよ」
「え」
ギンが歩く足を止めた。
「どうした?」
俺も立ち止まって、ギンを待った。
それにつられるように、高塔も動きを止めた。
「いやぁ……羽って、そこでしか買えないの? どっか別のところじゃだめ?」
ギンは笑顔ではあるが、少し表情が引きつっているように見える。
「そりゃスポーツショップとかモールにもあるだろうけど、こっからだとどこも遠いだろ」
「……いやぁ、まぁ、そうなんだけどさ」
なんか違和感を覚える反応だ。
どうして百円ショップに寄るだけのことなのに、こんなに渋るのだろう。
知り合いが働いているとか、なにか行きたくない事情があるならそう言やいいのに。
……さてはこいつ、バトミントンをやるのが嫌だから、遠回りさせて時間を削ろうとしてやがるな。
そうはいくか。
「わざわざ遠回りすることないだろ。高塔も、そんなの面倒だよな?」
「……他のところに行きたいなら、それでもいい」
こいつに、俺に有利な意見を期待したのがばかだった。
「そんなにあの店に行くのが嫌だったら、俺一人で入ってちゃちゃっと買ってくるよ。おまえは外で待ってていいよ。それでどうだ?」
高塔の言葉を拾わなかったのに、こいつはなんとも感じていなさそうだった。
「……わかった」
苦虫を噛み潰したような顔でうなずくギン。
「これで問題なしだな。じゃ、行くぞ」
……再び俺たちは歩き始めたが、ギンのおかしな振舞いについては、どこかすっきりしない。
なにかがつっかえたままのたような、気持ちの悪さが残った。

「おまえさぁ。なんで学生証持ってねーんだよ」
「いやぁ、むしろなんで二人とも持ってるのって感じだよね」
体育館の受付で学生証を見せるように言われたのだが、ギンのやつは家に置いたままときやがった。
「鞄の中に入れっぱなしにしとけばいいだろ。一応、いつでも携帯してろって言われてるんだからよ」
「えー。かさばるじゃんよ。重いし」
「どこが重いんだよ、こんなペラッペラな手帳一つがよ! ていうかおまえの鞄が軽すぎんだよ、いくらなんでも」
こいつは教科書とノートはすべて教室に置きっぱなしので、鞄の中には弁当箱と菓子とマンガしか入っていない。
「まぁいいじゃんいいじゃん。こうして無事に入れてもらえたんだしさ」
俺と高塔が学生証を提示したことと、ギンが制服を着ていたからという理由で、なんとか利用料金を払わずに入れてもらうことができたのだった。
市民体育館のコートの利用料金は一人二百円だが、学生は無料で使うことができる。
……まぁ、こいつが学生証を持ってないことで損をするのも多分こいつ自身なんだし、これ以上なに言ってもしかたないか。
「じゃ、あっちの倉庫にネットとポールがあるから、取り行くぞ」
「え! もしかして、自分でコートの準備しなきゃいけないの?」
「当たり前だろおまえ。市民体育館だぞ」
公共施設にサービスを期待する方がどうかしてる。
だいたい、タダで使えるだけありがたいもんだと思う。
「えぇー、めちゃくちゃめんどいよぉ」
「一分もかからねーだろうが! それともなんだ、高塔にポール運ばせようってのか?」
「ポールを持ってくればいいの?」
なんでそこそこ乗り気なんだよ。
ここは取りあえず、押し切ってしまうことにしよう。
「嫌だよなー高塔。ポールなんか重くて持てないよなぁ」
「ぐ……清子ちゃんをダシに使うとは、なんて卑怯な野郎だ……!」
「ここで力持ちアピールしとけばおまえ、きゃー素敵って言ってもらえるかもしれないだろ。じゃあ高塔はネットを持ってきてくれよ」
「わかった」
「やればいいんでしょ、やれば」
ぶーぶー言っているが、とりあえず説き伏せることはできたようだ。
最初の日に高塔が持ってた紙袋がけっこう重たかったことを、こいつはもう覚えてないのかもしれない。

「準備は二人でできるから、高塔は座って待ってていいよ」
倉庫から持ってきたポールを床の穴に突っ込みながら言う。
あとはネットを張るだけなので、三人でやる必要はない。
「わかった」
高塔は俺のそばにネットを置くと、壁際に座った。
「そっちのポールにネットの紐を結んでくれ」
「……」
ギンはなにか言いたげな顔をしていたが、黙ってネットに付いた紐をポールに括り始めた。
おそらく、文句を言うことで高塔からの評価が落ちるということに気付いたのだろう。
……まぁ、あいつがなにに好感を抱いて、なにを嫌うのかなんて俺にはわからないが。
「……バトミントンなんてこの世からなくなればいいのに」
俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ギンがつぶやいた。
ここまできて抵抗するか。
「バトミントンサイコー!」
イラッときたので、真反対のことを言ってやった。
「どだよ」
高塔が突然言葉を発した。
ドダヨ……?
なんだこいつ、急に意味のわからないこと言って。
「なに? どういうこと?」
見ると、高塔は体育の教科書を手に持っていた。
あいつ、体育の教科書わざわざ持って帰ってんのかよ。
俺はテスト前に勉強するとき以外、ずっと机の中に入れっぱなしだぞ。
「ど。ばどみんとん。とじゃないの」
「うそだろ。ちょっと見せてみろよ」
俺はひもを簡単にポールに括り付けて、高塔のもとへ歩いていった。
「ん」
高塔が開いたページを俺の方に向けて見せた。
ページの初めには、大きな文字で『バドミントン』と書かれていた。
……ド、だったって言うのか?
教科書の誤字なのだろうと思って他の部分を確認したが、どこを見ても『バトミントン』とは書かれていなかった。
うそだろ……どうして誰も教えてくれなかったんだよ。
これまでもいろんなやつの前で、バトミントンと発音したことがあったはずだ。
そのたびにみんな、とじゃなくてどだって思ってたってことか?
俺はずっと恥をさらし続けていたということになってしまう。
そんなことが、あっていいのか……認められない。
これまでずっと陰でみんなに笑われていたなんて、考えただけでもぞっとする……。
「へー、体育の教科書っていろんなスポーツの基本ルールが載ってるんだな。全然読まないから知らなかったわ。ありがとう高塔」
話を逸らして、高塔に教科書を返した。
恥の記憶は一刻も早く忘れてしまうのに限る。
「くくく……どだよ由紀彦くん」
ギンが、笑いをこらえながら言った。
「おまえも言ってただろうが! ふざけんなよ!」

「じゃあ準備できたし、始めるか」
俺が言うと、高塔は顔を上げて、教科書を鞄にしまってチャックを閉じた。
いちいちまめなやつだな。
「ついにこの時が来てしまったか……」
ギンはがくりとうなだれた。
「二人はバドミントンやったことあるか?」
「ないない。体育でもやったことないじゃん」
「……おまえもしかして、体育以外でスポーツやったことないの?」
「あったりまえじゃん」
なにをばかなことを、と言わんばかりの態度だ。
……嘘だろ、おい。
たしかに、こいつとは体を動かすような遊びをしたことはなかったが、まさかここまでとは……。
運動ってそんなにめんどくさいことか?
「まぁ、いいや……。高塔は?」
「ない」
「けど、教科書読んでたよな。少しはルールわかったか?」
「うん。バドミントンのページは全部読んだから」
「え? 俺たちがネット張ってる間にか?」
「うん」
高塔が教科書に目を通していたのは、ものの三分ほどだったと思う。
そんな時間に、簡略化してあるとはいえ、ゲームのルールを全て読み込むことなんてできるのか?
私立のお嬢様学校に通っているだけのことはあって、俺たちとは頭の出来がまるで違うということだろうか。
「さっすが清子ちゃん。俺が見込んだレディだけのことはあるね!」
「気持ち悪……。おまえほんと、そういうこと口に出すのやめとけって」
「なに言ってんだよ由紀彦。思ったことはちゃんと言わないと、相手に伝わらないだろ?」
「伝えていいことと悪いことがあるだろ。おまえセクハラ裁判だったら、完全に敗訴するレベルだぞ」
「清子ちゃんが俺のこと訴えたりするわけないだろ! ねぇ、清子ちゃん?」
「……いっぱい嫌なことされたら、その時は訴えることも考える」
意外と冷静な答えが返ってきた。
まぁ、それはそうだろうとしか言いようのないような。
「……そ、そっか……」
ギンは再びうなだれた。
「とりあえず簡単にルールを説明するぞ」
フォローするのが面倒なので、無理やり話を進めることにした。
「訴えられるかもしれないのか……」
ギンは顔を床に向けたままつぶやいた。
「おまえのために説明すんだから、ちゃんと聞けよ。とりあえずゲームが始まったら、打ち合うわけだ。ネットの上を通るように、羽を相手側のコートに打ち込む。羽が白い線の外側に出た場合は相手に点が入る」
ラケットで、サイドラインを指し示す。
「えぇー、線がいっぱいあってわかんないよぉ」
「覚えろや! その白の線の外に出ないように打つんだぞ」
たしかに、体育館の床にはたくさんのラインが引いてある。
これはもちろん体育館が様々なスポーツで使うため、それぞれの競技に対応できるようになっているからだ。
バドミントンのコートの中にも、他の競技のための線がいくつも走っている。
まぁ、そのうち慣れることだろう。
「で、ゲームの最初と、点が入った後は、コートの真ん中から羽を打つ。サービスっつうんだけど……」
喋りながら、サービスするのに適した位置に移動する。
「この白いラインよりも後ろから打つわけ。で、この真ん中にも白い線があるだろ?」
「うん」
「この線の左側から打つとしたら、反対側のコートの右側に入れなきゃいけない。左側から打つ場合は、右側に入れなきゃいけない。わかったか?」
「なんで?」
「え?」
「いや、なんで反対側に入れなきゃいけないの?」
「そういうルールなんだよ」
「なんでそういうルールなの?」
「知らねーよそんなん。まだまだ教えなきゃいけないことがあんだから、次いくぞ!」
「えぇー」
「で、サービスの時は、打ち方はこうな」
俺はラケットの先を下に向けて、その網の前に羽をセットした。
「上から打っちゃいけないの?」
「サービスの時はこの打ち方をするルールなんだよ」
「えぇー。上から打ちたい時はどうすればいいの?」
「その気持ちを我慢して下から打つんだよ」
「どうしてそんなルールが出来たの?」
「いちいちうるせー野郎だな! そんなに気になるならあとで自分で調べりゃいいだろうが! ルールの説明が終わらねーとゲームができねーんだよ! 黙って最後まで聞け!」
「ちぇ。あれもだめこれもだめ……まったく、世知辛いねぇ」

「ちょっと端折ったけど、だいたいルールはこんな感じだな。とりあえず白い線の内側に入るように打つ、これだけ覚えときゃどうにかなるよ。簡単だろ」
「うーん……なんとかなるかもしれないけど」
「おまえさぁ。こんな簡単なスポーツなんて他にないぞ。ゲートボールくらいじゃねーか」
「ゲートボールばかにすんなよ! 日本生まれのスポーツだぞ!」
「だからなんだよ」
意味のわからないところで張り合ってきたな……。
「おっけーおっけー。まぁ多分できると思うよ」
「じゃあ二人で軽く打ち合ってみるか。シングルスの時に使うのは、もう一つ内側のラインな」
「どうして?」
「じゃないと、一人で守らなきゃいけない範囲が広すぎるだろ」
「ふーん。それならまぁ納得かな」
「なんで偉そうな言い方なんだよ。甘く見てるかもしれないけど、あちこち動き回らなきゃいけないから体力めちゃくちゃ使うぞ」
「サッカーとかバスケとかよりはましでしょ」
それがそうでもないんだな。
コートの端から端まで走ることもざらだし、真逆の方向に移動しなきゃいけないときもあるから、かなりエネルギーが必要になる。
……という話をするとギンがやる気をなくすのは目に見えていたので、言わないでおくことにした。
「じゃあ、始めるか。どっちから打つよ?」
「レディーファーストでいーんでない?」
「じゃ、最初のサービスは高塔がやっていいよ」
「うん」
高塔が羽を打って、ラリーが始まった。
お互いその場からほとんど動かないまま、相手を目掛けて羽を打ち合っている。
まぁ、始めは打つ時の力の入れ方を覚えていければいいか。

「うぁー! バドミントンめっちゃ疲れる!」
高塔とラリーをしながら弱音を吐くギン。
「おまえ、もうちょっと手首使うようにした方がいいぞ」
「え! なんで!?」
ギンは羽の動向を目で追いながら答えた。
「腕全体を振って打ってるけど、手首のひねりで打つだけでも普通に飛ぶから大丈夫だぞ」
手首を使ってラケットを左右に振ってみせた。
力を入れて打っても、羽が軽いのですぐにスピードが落ちてしまうのだ。
それに腕を大きく動かすのは体力を使うので、タイミングによって打ち方を使い分けるのが無難だ。
「ほんとに? ……ほっ!」
高塔から飛んできた羽を、手首のスナップを利かせて打ち返そうとするギン。
しかし……。
「あっ!」
羽に当たる時には、網の面がほとんど下を向いていた。
結果、羽を床に叩き落としすことになってしまった。
まぁ、ラケットを振るタイミングなんかは、やっていくうちに上手くなっていくだろう。
「どうしてくれんだよ由紀彦! 全然上手くいかねーじゃん」
「いや、今のは振るのが早すぎたんだろ」
「なら先に、早く振りすぎちゃいけないって言ってくんなきゃ困るじゃん!」
「なんでもかんでも口で伝えられるわけねーだろ! 練習中の失敗なんか誰も責めねーんだから別にいいだろうが」
「ちぇー。頼むぜコーチ」

二人とも、段々と直線的なラリーではなく、コートの中を動きながら打ち合うようになってきた。
高塔は思っていたよりも積極的にコートを動き回り、羽を落とすことがほとんどない。
スカートを翻しながら軽々と動いているさまは、普段の無気力な高塔からは想像しにくいものだった。
対するギンはと言えば、フットワークがかなり重い。
もう少し動けば拾えそうな時も、すぐに諦めて足を止めてしまう。
……遊びでやっていることとはいえ、こうもモチベーションが低いやつがいると、こちらもやる気をなくしてしまいそうになる。
なんとか、こいつにもう少しちゃんとやってもらうためのいい方法はないものだろうか。
「わぁー、こりゃだめだー」
考えているそばから、ギンが、羽を取りに行くのを諦めた。
「……今のは、いけたんじゃないか?」
「えぇー、無理だったって。絶対」
「ちょっと飛び込むようにして行くとかさ。あと、屈み込めば低い位置にある羽はけっこう拾えるよ」
「そこまでするのもなぁ」
イラッときた。
せっかくこいつの頼みで面白いことを考えてきてやったのに、全然乗り気にならねーときやがる。
「おまえさぁ……。無理そうなやつを拾えた方が楽しいだろうが。ゲームだって、ピンチの状況から巻き返した方が楽しいだろ?」
「けどゲームは疲れないじゃん。体使うのは疲れるじゃん」
「自分の体使うからこそ面白いんだろ? ゲームは頭しか使わねーだろ」
「まぁそう熱くなるなって! 由紀彦のバドミントンにかける情熱はよくわかったよ」
「情熱とかじゃなくて、体動かしたら楽しいだろって話だよ」
「天才バドミントン少年ゆきちゃん」
こいつ、俺の話を無視してる上に、挑発までしてきやがるか……!
「うるせーデブ! 本気で動けば痩せるかもしれねーだろうが! ちゃんとやれ!」
「だ、だから清子ちゃんの前でそれやめろって!」
ギンは立てた人差し指を口に当てて、『しーっ』のジェスチャーをした。
「だから、どこからどう見ても隠せてねーっつうの! バレたくねーなら、せめてサモハンキンポーみたいに動いてみろ!」
「っつっても、ご褒美がないとなぁ……」
この野郎……。
「言ったなおまえ。じゃあおまえが俺に勝てたら、その時はなんでもくれてやるよ」
「なにーっ、本当だな? 俺が『おっぱいパラダイス』を欲しいって言ったら、くれるんだな?」
「な……おまえ、あれは……」
『おっぱいパラダイス』とは、俺が自分で編集したオリジナルのビデオテープだ。
二ヶ月前に放送終了してしまった深夜番組『トゥナイト2』を毎回録画していた俺は、その中からおっぱいが映るシーンだけを集めたビデオを作った。
番組にはエロくない回もあるため、その中からエロい回を選りすぐり、さらにおっぱいの映るシーンのみに絞っていく……それは長く過酷な作業だった。
ビデオを編集するには二台のビデオデッキが必要となるが、俺の部屋にはテレビと一体型のビデオがあるだけだ。
リビングはDVDとビデオが一体型になった再生機があるが、部屋に持っていくと家族に怪しまれてしまう。
そのため深夜や家族が出かけているタイミングを見計らい、再生機を部屋に持ち込み、全神経を集中させながら編集していった。
ただおっぱいが映るシーンを集めるだけでは味気ない。
重要なのはおっぱいを出す女が登場するシーンも残すことによって、その女への愛着を覚えるだけの余韻を作ることだ。
作業は困難を極め、納得がいくものが出来るまでには何度もやり直すことになった。
そうして感性したのが『おっぱいパラダイス』だ。
もちろん、番組のオープニングのトランペットと謎のCGも入れてある。
あのよくわからない映像を見ると、なぜだかテンションが高まるのは俺だけではないはずだ。
「なんだ、今言ったことは嘘だったっていうのか由紀彦」
問い詰めてくるギン。
顔がにやけているのは、俺がこの条件をのむと確信しているからだろう。
あれは俺にとって宝と言っていいものだ。
あのビデオを編集するのに要した時間を勉強に充てていたら、今回のテストはかなり良い点数になっていただろう。
志望校も1ランクくらい上げることができたかもしれない。
しかし、後悔はしていない。
得た物は非常に大きいからだ。
『おっぱいパラダイス』は俺にとって、それほど大事なものだ。
だが、こんなにばかにされて、引き下がることなんてできない。
「あー、いいよ。わかった。おまえが俺に勝てたらくれてやるよ」
「おっしゃー! やる気百倍だぜ!」
「じゃあ、とっととやるぞ」
「こっちチームに清子ちゃんもらっていいよね?」
「は? なんでだよ。男なら正々堂々、サシで……」
「だって俺、初心者だぜ? それに俺らがやってる間、清子ちゃんが暇しちゃうじゃん」
ぐ……。こいつ、あとから自分に有利な条件を付け足しやがって……!
しかも断りづらい雰囲気まで作ってやがる。
なんて卑怯なやつだ。
「あー、いいよ、わかったよ! 二対一でやってやるよ!」
「線も、お互い外側のやつでいいよね?」
「なんでもいいっつーの! とっととやるぞ! 15点先に取った方が勝ちだからな」

いざ試合を始めてみると、こいつらの欠点がすぐにわかってきた。
「あ」
「ぎゃーっ!」
高塔とギンの間くらいに羽を飛ばすと、こいつらは反応が一瞬遅れるのだ。
おそらく、お互いがお互いに、相手が取りに行くと思ってしまうのだろう。
そんなわけで、俺はあっという間に五点も取ることができた。
……最初は、あいつらにアドバイスしたらこっちの分が悪くなると思ってたけど、さすがに初心者相手に一方的に攻めるのは意地が悪かったか……。
「あのな、おまえらコンビネーション悪すぎだぞ」
「そんなん言ったって、しょうがないじゃん」
「お互いに守る場所とか決めとけよ。右左で分けてもいいし、前後ろで分けてもいいし。あと、お互いの範囲ギリギリに来そうだったら、迷っても行った方がいいだろ」
「うーん、そっかぁ……」
二人で話し合って、ギンが前面、高塔が後面を守ることになった。

コートの端のほうを狙って打った羽が地面に落ちた。
もう少しでアウトというところだったが、上手く計算通りに落ちてくれた。
……少し実力の差を見せつけ過ぎてしまっただろうか。
「あちゃー、惜しかったね由紀彦」
羽を拾いながら言うギン。
「え? 今のはインしてたろ」
「いやぁ、ギリギリのところで出ちゃってたよね。残念残念。ね、清子ちゃん?」
「インしてたように見えるけど」
「ほら見ろ。二対一だぞギン」
「かーっ! 困るよ清子ちゃん! こういう時は口裏合わせてくれないと! 一点向こうに入っちゃうよ!?」
不承不承という感じで、ギンはこちらに羽を投げてよこした。
セコいこと考えんなよ……。
「……嘘はついちゃだめだよ」
高塔がつぶやいた言葉を、ギンは聞いていたのだろうか。

「んっ」
高めの羽に対応するために高塔はジャンプしたが、ギリギリのところで打ち返せなかった。
羽は床に落ち、俺に一点が入る。
「ああっ!!」
「どうした、またいちゃもんか?」
ブルブルと、猛烈な勢いで首を横に振るギン。
「なんだよ。早く言えよ」
ギンは顔をこちらに向け、目だけを横に向ける。
……高塔を見ているのか?
「高塔?」
今度は首を縦に振るギン。
正解ってことか。
そしてギンは、その場で何度もジャンプしはじめた。
「……なにやってんのおまえ。全然意味わかんねーんだけど」
「あー、もういい!」
十回ほど飛び跳ねたころになって、息を切らせながらギンはこちらへ歩いてきた。
「由紀彦、さっきみたいな打ち方をいっぱいやってくれ」
「は? さっきみたいって、どんなだよ」
「清子ちゃんがジャンプするようなやつを、いっぱいよこしてくれってこと」
「なんで?」
「ばっかだなぁ! ジャンプしたらスカートがめくれるだろ。そしたらパン……」
「性欲のバケモンか!」
ギンが言いきる前に、ケツに蹴りを入れた。
「ぎゃあっ!」

「おっしゃー! ナイス、清子ちゃん」
俺が打ち損ねた羽が地面に落ちる。
「く……」
思っていたよりも体力の消耗が激しい。
あの時は深く考えずにダブルスのラインでやることを受けてしまったが、やはり一人でこの範囲を守るのはかなりきつい。
コートの一番後ろから羽を打ち返したすぐあとに、あいつらがネットの際の前面を狙ってきた場合、単純に移動が間に合わないということもある。
今の得点で、向こうは十四点。
俺も同じく十四点。
冷静にプレーすれば負けることはないと思っていたが、体力が限界に達しているようで、思うように体が動いてくれない。
変なところで助言なんてしなければ良かった……そう思っても、もう遅い。
初めの方で飛ばし過ぎたような気もする。
しばらく運動をしなかったというだけで、こんなに体力は低下するものなのか。
「じゃ、行くぞー」
やけに自信ありげな表情をしたギンがサーブを打ってよこす。
長期戦になると、体力的に俺の方が不利だ。
なるべく早めに決めてしまわないといけない……。
そう思うが、偶然なのか向こうの作戦なのか、羽は左へ右へと俺を揺さぶるように打ち返されてくる。
足がどんどん重たくなってきて、動くスピードが落ちていることを実感する。
「おりゃ!」
「ふっ」
ギンが前面の左サイド近くに打ってきた羽を、なんとか打ち返す。
「んっ」
高塔が返してきた羽は、後面の右側に飛んできた。
「くそ、そっちかよ!」
コートの端から端への移動は、体力を消耗している身には堪えた。
床との接触までもうわずかという羽の下に、なんとかラケットをすべり込ませて、思い切り振り上げた。
しかし足が自分の思うように動かずもつれてしまい、体のバランスが大きく崩れた。
「うわ!」
打ち上げた羽見てみると、勢いのないまま大きく上昇していた。
なんとか向こうのコートに入った辺りでゆるやかに落下していく……。
「チャーンス! うおぉーっ!」
そしてその下で待ち構えていたギンが、大きくジャンプした。
「サー!」
落ちてきた羽を押し出すようにラケットを当てるギン。
こつん、と小さな音を立てて、羽は俺のコートに落ちていった。
これで向こうは十五得点に達したことになる。
「ぐ……せめて、思いっきりスマッシュで打ってこいや!」
しかも全然似てないモノマネが、屈辱感をより一層際立てる。
「なに言ってんの由紀彦、一点は一点じゃん! やったね清子ちゃん! 俺らの勝ちだよ!」
ギンは高塔の両手を握って、上下にブンブン振っている。
どうしてこんなことになってしまったんだ……。
二対一という条件を受け入れてしまったのが悪かったのか……一人でダブルスのコートを守ろうとしたのがいけなかったのか……。
どこで間違えたんだ、俺は……。
おっぱいパラダイス……。

「ま、バドミントン、なかなか悪くないんじゃない?」
「うるせー」
バドミントンを終えて、体育館を出てきた。
高塔は別の道から帰った方が早いというので、体育館の前で別れてきた。
「さすがの天才バドミントン少年も、俺と清子ちゃんのペアには敵わなかったってことだよね」
「うるせーっつってんだろ」
「俺と清子ちゃんの絆の深さも証明されたし、おっぱいパラダイスも手に入るなんて。今日は良い日だなぁ」
「黙れよおまえ!」
こいつがつけ上がっているのは癪に障るが、高塔を楽しませることが目的なんだ。
そう考えれば、敢えて勝たせてやったことは、あいつへのもてなしたことになったはずだ。
まぁ、あれだけ機敏に動いていたんだし、気持ちがよくなかったってことはないだろ……。
……相変わらず、あいつがなにを考えているのかは全然わからない。